降矢敬義とは? わかりやすく解説

降矢敬義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/29 00:53 UTC 版)

降矢 敬義
ふるや けいぎ
生年月日 1920年10月25日
出生地 山形県山形市
没年月日 不明
出身校 東京帝国大学法学部
前職 自治事務次官
所属政党 自由民主党

選挙区 山形選挙区
当選回数 2回
在任期間 1977年 - 1989年
テンプレートを表示

降矢 敬義(ふるや けいぎ、1920年10月25日 - 没年不明)は、日本の官僚政治家自治事務次官を経て、自由民主党参議院議員(2期)。

来歴・人物

山形県山形市出身。山形県立山形中学校旧制山形高等学校を経て、1942年東京帝国大学法学部を卒業。高等文官試験に合格し内務省に入省(地方局配属[1])。しかし、翌年に応召され、1947年復員までシベリアに抑留された[2]1950年静岡県商工課長[3]

その後、自治庁行政課長、自治大臣官房参事官自治省選挙局長、同税務局長、自治大学校長等を歴任[2]1970年消防庁長官[4]1973年に自治事務次官を最後に退官。安孫子藤吉山形県知事が国政に転じるにあたって、その後継として一時、擬せられた[5]

1977年の参議院選挙山形選挙区から自由民主党公認で出馬、ともに新人の日本社会党公認の佐藤誼を1万票あまりの差で破り、初当選。以後当選2回。以来、参議院文教委員長、商工委員長を務める。 1989年4月の消費税導入直後、宇野宗佑首相のスキャンダル、土井たか子に代表されるマドンナブームで、自民党に逆風が吹く中で行なわれた参議院選挙に落選。

1993年2月の山形県知事選挙に立候補するが[5]、落選。

奥羽鉄鋼代表取締役で俳誌「ホトトギス同人、第18回斎藤茂吉文化賞受賞者である降矢東郊(与助)は父にあたる[6]

脚注

  1. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、351頁
  2. ^ a b 「時の人 降矢敬義 参院選で裏方の大役果たした自治省選挙局長」『読売新聞』1968年7月11日
  3. ^ 週刊東洋経済 第3686号』1972年8月26日発行
  4. ^ 「人間登場 降矢敬義」『読売新聞』1970年10月18日
  5. ^ a b 「史上初の保守乱立知事選 山新・山交グループの彷徨 小田桐誠」『創』1993年3月号
  6. ^ 齋藤茂吉文化賞受賞者11-20回”. 山形県. 2019年6月17日閲覧。
議会
先代
斎藤栄三郎
参議院商工委員長
1984年 - 1985年
次代
下条進一郎
先代
大島友治
参議院文教委員長
1980年 - 1981年
次代
片山正英
官職
先代
長野士郎
自治事務次官
1972年 - 1973年
次代
宮澤弘
先代
松島五郎
消防庁長官
1970年 - 1972年
次代
宮澤弘
先代
柴田護(事務取扱)
自治大学校長
1968年 - 1969年
次代
岡田純夫




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「降矢敬義」の関連用語


2
14% |||||

3
12% |||||

4
12% |||||

5
12% |||||


7
12% |||||

8
12% |||||

9
12% |||||

10
12% |||||

降矢敬義のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



降矢敬義のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの降矢敬義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS