開山堂
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開山堂(かいさんどう、かいざんどう)は、仏教寺院において開山の像を祀った堂のこと。寺院の「開山」とは、当該寺院に最初に住した僧のことを指すのが通例で、寺院の創立を発願し、経済的基盤を提供した人物である「開基」とは区別される。開山や宗祖の像を安置する堂を、寺によっては祖師堂(そしどう)、御影堂(みえいどう、ごえいどう)、影堂(えいどう)などともいう。宗派や寺院によっては、祖師堂や御影堂が本尊を安置する本堂よりも規模が大きく重視されることがある。
- 1 開山堂とは
- 2 開山堂の概要
開山堂
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元和8年(1622年)、呑龍は民衆の熱望により自らの像を自身の手によって作り出し、同年に開眼を行った。この像が現在の開山堂の本尊である呑龍上人の尊像である。この像を祀るため呑龍の滅後に建立し、その堂宇を「開山堂」(呑龍は大光院の開山であることに由来する)とした。大正年間までの旧開山堂は宝形造、瓦葺、壁は漆喰であり現今の開山堂よりも小さいものであった。大正年間、当時の貫主の千野學誠は開山堂の建て替えを発願され計画を進めていたが、大正15年(1926年)5月に千野學誠は遷化された。後任の貫主として指名を受けていた、宗教大学(現在の大正大学)教授の鈴木霊真がその事業を引き継ぎ、昭和9年(1934年)に桃山風建築の堂宇として遂に完成を見た。大型鉄筋コンクリート建築としては日本初の仏閣建築物として建設されたものであり、その遺構は貴重なものである。内外装が完了したのは次代の鈴木霊海の時代になってからのことである。
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