鉄道大臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 16:41 UTC 版)
1927年(昭和2年)田中義一内閣の鉄道大臣に就任。在任中は、それまで左書きだった駅名標をすべて右書きに改め、説明のローマ字を廃止して「国粋大臣」の異名をとった。 小川は鉄道大臣辞任の2か月後、1929年(昭和4年)に5つの私鉄買収にからむ収賄事件(五私鉄疑獄事件)で起訴され、市ヶ谷刑務所へ留置された。1936年(昭和11年)9月に大審院で懲役2年の判決を受け、位階を剥奪される。これにより政界から引退した。 詳細は「五私鉄疑獄事件」を参照 中村勝実著『信州の大臣たち』56頁によれば、「大臣在任中の二年間に、二百近い私鉄の営業許可を与え、そのうえ田中義一内閣が瓦解する直前にもその置き土産といって、十数本の私鉄敷設を許可した。しかもそのほとんどが、国鉄や私鉄他社の並行線だったので、とかくの噂を呼んだ。」という。特に田中義一内閣瓦解直前の時期に集中して乱発された路線敷設免許の大盤振る舞いは、名阪間で最終的に直接競合することになる路線を構成する2社線に対して同時に認可を与えるなど、交通政策上も矛盾した杜撰極まる内容であり、空前の愚策であるとして各方面の非難を浴びた。
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