金門砲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 14:53 UTC 版)
金門砲戦(きんもんほうせん)は、1958年8月23日から10月5日にかけて、中華民国福建省金門島に対し、中華人民共和国の中国人民解放軍が同島に侵攻すべく砲撃を行ったことにより起きた戦闘である。台湾では八二三砲戦と称している。また第2次台湾海峡危機と称されることもある。
- ^ Joseph Frederick Bouchard. “USE OF NAVAL FORCE IN CRISES: A THEORY OF STRATIFIED CRISIS INTERACTION” (PDF) (英語). 2019年1月2日閲覧。
- ^ a b c d e “1958年の台湾危機で沖縄への報復攻撃を容認「米軍の共通認識だった」 元米高官ハルペリン氏が明らかに”. 沖縄タイムス. (2021年5月31日) 2021年5月31日閲覧。
- ^ 平松 2005, pp. 83–84.
- ^ “台湾なのに…人民元が流通、中国旗はためく島”. 朝日新聞. (2018年9月13日) 2019年8月21日閲覧。
- ^ “中台間に送水管開設 金門島、民意取り込み”. 産経ニュース. (2018年8月5日) 2019年8月22日閲覧。
- ^ “大陸委、親中姿勢の金門県副県長を批判/台湾”. 中央通訊社. (2018年8月10日) 2019年8月22日閲覧。
金門砲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:50 UTC 版)
1958年7月、国民党空軍の偵察機は金門島周辺の福建省の航空基地にMig-17やMig-19等の中国側の戦闘機が多数集められていることを察知した。周辺上空ではその中国側戦闘機が活発に飛行するようになった。同年7月29日、中国側の4機のMig-17が国民党空軍の数機のF-86セイバーを撃墜した。中国側は福建省に戦闘機を集中配備し、その圧倒的な数で金門島周辺の制空権を握った。その後8月23日に金門島の国民党軍の基地に向けて中国側の榴弾砲による激しい砲撃が始まった。この砲撃に連なる戦闘は金門砲戦と呼ばれている。翌24日に金門島上空では中国軍のミグと国民党軍のセイバーの間の空中戦が行われた。この戦闘で国民党のセイバー戦闘機が搭載する空対空ミサイル(サイドワインダーミサイル)により中国側のMIG-17戦闘機が多数撃墜された。史上初めての空対空ミサイルによる撃墜記録であった。またこの時に、ミグ機に命中した不発ミサイルが回収されソ連の手に渡った。このミサイルはリバースエンジニアリングされ、R-3ミサイルが開発された。このミサイルは中国でライセンス生産されPL-2と呼ばれている。
※この「金門砲戦」の解説は、「中国人民解放軍空軍」の解説の一部です。
「金門砲戦」を含む「中国人民解放軍空軍」の記事については、「中国人民解放軍空軍」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 金門砲戦のページへのリンク