金春八郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/13 22:23 UTC 版)
金春 八郎(こんぱるはちろう、1870年(明治3年) - 1906年(明治39年)4月8日)は、シテ方金春流能楽師。金春流75世宗家。名は八郎儀広。初め武三といった[1]。
- ^ a b 野々村(1967)、183頁
- ^ 広瀬(1969)、367〜8頁
- ^ 櫻間金太郎(1987)、179頁。『能と金春』368頁では、広成が東京の護久邸を訪ねたとある
- ^ 表・天野(1987)、160頁
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「金春広成」。櫻間弓川、および『能と金春』など所載の系譜類は1888年(明治21年)4月没とする
- ^ 池内(1992)、310頁
- ^ a b c 池内(1992)、287頁
- ^ a b 喜多(1965)、189頁
- ^ a b c 観世(1939)、209頁
- ^ 櫻間弓川(1948)、34頁には「1年半位の間に「西王母」1番しか教へられなかった」とある
- ^ 広瀬(1969)、373頁
- ^ なお八郎は、隆範の子・英一を養子に迎えている(広瀬(1969)、434頁)
- ^ 櫻間弓川(1948)、34頁
- ^ 広瀬(1969)、367頁
- ^ 法政大学能楽研究所―所蔵文庫〈般若窟文庫〉
- ^ 池内(1992)、286頁
- ^ 広瀬(1969)、366頁より孫引き
- ^ a b 櫻間金太郎(1987)、13頁
- ^ 池内(1992)、288頁
- ^ 広瀬(1969)、366頁
[続きの解説]
- 金春八郎のページへのリンク