那智一山の組織とは? わかりやすく解説

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那智一山の組織

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:45 UTC 版)

熊野那智大社」の記事における「那智一山の組織」の解説

那智一山の組織は平安時代末期形成した考えられる当時史料残されていない近世後期編纂された『紀伊続風土記』などによれば那智山には禰宜神主などの神職存在せず那智山隣接している如意輪堂(現・青岸渡寺)と神仏習合して一体化し、その全員社僧という修験者達の霊場となっていた。中世入り熊野三山管理する京都熊野三山検校の下で那智一山管理組織那智執行滝本執行宿老在庁にもとづく合議制度)が整備された。近世入り社僧東座と西座に分けられたが、両座にはそれぞれ東の長官、西の長官置かれ執行呼ばれつつ一山管理した。また両座の下には10人で構成する宿老をはじめ、12人の講誦75人の衆徒66人の滝衆、85人の行人12人の如法道場役人と7人の穀屋本願)などがいて組織構成した。 『紀伊続風土記』によると、近世のある時期東座執行受け持ったのは那智最古家柄という潮崎尊勝院で、山内でも最重要とされる滝権現を祀り、滝衆や行人を統轄し近世のある時期に、西座の執行を西仙滝院が担当した後、米良実方院に替わったという。尊勝院実方院および御師呼ばれる坊・院は、中世近世通じ全国各地旦那檀那)場からの参詣者を泊める宿坊営んでいた。仁平元年1151年2月15日の『源義国寄進状写』に那智御師高坊の名が記載されている。この他にも御師として熊野別当家一族もいた。

※この「那智一山の組織」の解説は、「熊野那智大社」の解説の一部です。
「那智一山の組織」を含む「熊野那智大社」の記事については、「熊野那智大社」の概要を参照ください。

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