遺跡からの出土とは? わかりやすく解説

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遺跡からの出土

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 14:44 UTC 版)

修羅 (そり)」の記事における「遺跡からの出土」の解説

1978年3月大阪府藤井寺市三ツ塚古墳道明寺六丁目)の周濠から、大小2つ修羅出土同年4月5日から6日にかけてマスコミ大きく報じられ4月15日現地説明会には12,000余り人々見学訪れた大き修羅全長8.8m、幅1.9m、重さ3.2トン)はアカガシ類の木、小さ修羅全長2.8m、幅0.7m)はクヌギ類の木でできており、いずれも二股分かれた一木であることがわかった。これらと同時に梃子棒長さ6.2m、直径20cm)も発見された。出土場所などから、古市古墳群最盛期だった5世紀ごろのものと推定されている。土中地下水によりほぼ完全な形で保存されていたが、出土とともに急速な乾燥劣化恐れ心配された。そのため、同年5月に(財)元興寺文化財研究所生駒市)へと運搬され木材含まれる水分代わりに水溶性樹脂ポリエチレングリコール浸透させて固化する保存処理が行われることになった同所には、長大な大修羅収容できる設備はなく、この処理のために巨大な保存処理新設された。 この発掘大きな反響呼び同年9月3日には、朝日新聞社考古学などの専門家によって、市内大和川河川敷で、復元した修羅巨石乗せて牽引する実証実験が行われた。 大き修羅よりも一足早く保存処理終えた小さ修羅1990年に「国際花と緑の博覧会」で展示された。保存処理終わった修羅について、発掘した大阪府は、当時河南町整備進めていた風土記の丘建設する博物館展示する方針をとった。これに対して出土地である藤井寺市市民反発市長藤井寺市に戻すよう府に要望したが認められなかった。現在、大き修羅梃子棒大阪府立近つ飛鳥博物館展示され、府から貸与され小さ修羅市立図書館展示されている。

※この「遺跡からの出土」の解説は、「修羅 (そり)」の解説の一部です。
「遺跡からの出土」を含む「修羅 (そり)」の記事については、「修羅 (そり)」の概要を参照ください。

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