遂寧市とは? わかりやすく解説

遂寧市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 06:29 UTC 版)

中華人民共和国 四川省 遂寧市
陳子昂読書台
陳子昂読書台
四川省中の遂寧市の位置
四川省中の遂寧市の位置
簡体字 遂宁
繁体字 遂寧
拼音 Sùiníng
カタカナ転写 スイニン
国家 中華人民共和国
四川
行政級別 地級市
面積
総面積 5,326 km²
市区 21.9 km²
人口
総人口(2005) 377 万人
経済
GDP(2008) 372.67億元
電話番号 0825
郵便番号 629000
ナンバープレート 川J
行政区画代碼 510900
公式ウェブサイト http://www.scsn.gov.cn/

遂寧市(すいねい-し)は、中華人民共和国四川省に属する地級市

地理

遂寧市は四川盆地の中部に位置し、涪江の中流にあたる。東経105°03′26″から106°59′49″、北緯30°10′50″から31°10′50″の間に広がる。東西は90.3km、南北は108.9km、面積5,300平方km。四川盆地の重要都市である成都市および重慶市とは等距離にある。

遂寧は古くからの文化の蓄積、人を迷わせる幽玄な山水、発達した農工商業などから、川中(四川省中部)地区の政治、経済、文化の中心であり、紡織や食品工業が盛んで沱牌グループなどの企業が所在し、「東川巨邑」、「川中重鎮」、「小成都」などの異名がある。四川盆地の中部にあり、涪江(ふうこう)の中流部が貫く。東は南充市広安市、西は徳陽市、南は重慶市資陽市、北は綿陽市に接する。

歴史

遂寧周辺には石器時代より人類が住んでいたとみられ、射洪県仁和鎮の馬鞍山からは紀元前1万年ころの人類の頭蓋骨が出土している。記録では王朝や王朝の時期には梁州に属したとされる。春秋時代初期には四川盆地に巴国、蜀国という国家が成立したが、遂寧付近は蜀の領域であり、による中国統一後は蜀郡となった。後漢末期の220年延康元年)、現在の市街地に徳陽県の県治が設置された。330年咸和5年)、晋末の混乱に乗じ李雄により成漢が立てられ、徳陽郡の郡治がこの地におかれた。

「遂寧」の地名の由来は東晋十六国が並存した時期にさかのぼる。遂寧は十六国の中の成漢に属したが、各国間の争いや後継者争いで成漢は疲弊した。347年嘉寧2年)、東晋の桓温将軍が蜀征伐に着手し成漢を滅ぼし、四川で50年以上続いた混乱に終止符を打った。桓温は凱旋の途中、急にこの地の風や太陽の美しさに打たれ、歌や踊りの声がどこかから聞こえてくることに平和さを感じた。長年戦場にいた桓温に平和を渇望する思いが生まれ、この地に郡を置き、「戦乱の終息と安寧に到達する」ことを願って「遂寧」と命名したとされる。以後、この地には遂寧の名で郡、府、州、県などが置かれ、一帯の中心地として繁栄した。

南北朝から元代まで、市域には石山郡、小渓県、方義県、遂州、遂州総管府、遂州総督府、武信軍節度使などがありその管轄下には35の県があった。遂寧城の管轄地域が最大に達したのはの末期で、遂州に設置された武信軍節度使は遂(遂寧)、昌(栄昌大足永川)、合(合川)、渝(九竜坡江津)、瀘(瀘州)の5州を管轄した。明代以後、遂寧は州から県に降格し、潼川府(現在の三台県)、嘉陵道(現在の南充市)などの管轄下となった。

1935年民国24年)、中華民国により四川省に18行政督察区を設置した際、遂寧には第12行政督察区が置かれ遂寧、安岳、中江、三台、射洪、塩亭、蓬渓、潼南、楽至の9県を管轄した。中華人民共和国成立後は川北行政区遂寧分区が置かれ、1952年に遂寧専区と改められ上記の9県を管轄したが、1958年には遂寧専区が撤廃され、遂寧は隣接する綿陽専区に編入された。

1985年2月、国務院により遂寧県は廃止され省轄市となり、市中区(もとの遂寧県)、蓬渓県、射洪県を管轄することとなった。1997年10月には国務院により、蓬渓県の涪江以西の地域に大英県が新設された。2003年12月には国務院により市中区が分割され、船山区と安居区が設置された。

行政区画

2市轄区・1県級市・2県を管轄下に置く。

遂寧市の地図

年表

この節の出典[1][2]

川北行署区遂寧専区

  • 1949年10月1日 - 中華人民共和国川北行署区遂寧専区が成立。遂寧県蓬渓県潼南県安岳県楽至県中江県三台県射洪県塩亭県が発足。(9県)
  • 1952年1月15日 (9県)
    • 射洪県、南充専区西充県の各一部が塩亭県に編入。
    • 三台県・塩亭県、南充専区西充県の各一部が射洪県に編入。
    • 中江県・安岳県の各一部が楽至県に編入。
    • 塩亭県の一部が南充専区西充県に編入。
  • 1952年2月2日 (9県)
    • 蓬渓県の一部が南充専区南充県に編入。
    • 塩亭県の一部が南充専区西充県に編入。
  • 1952年8月7日 - 四川省の成立により、四川省遂寧専区となる。

四川省遂寧専区

  • 1952年8月13日 - 南充専区南充県の一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1952年9月1日 - 南充専区南充県・西充県の各一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1952年11月15日 - 三台県の一部が中江県に編入。(9県)
  • 1952年12月24日 - 内江専区資陽県の一部が楽至県に編入。(9県)
  • 1952年12月29日 (9県)
    • 中江県の一部(新中郷)が綿陽専区徳陽県に編入。
    • 綿陽専区徳陽県の一部(東美郷の一部)が中江県に編入。
  • 1953年3月24日 - 中江県の一部が楽至県に編入。(9県)
  • 1953年4月3日 - 三台県・遂寧県の各一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1953年7月6日 - 中江県の一部が綿陽専区羅江県に編入。(9県)
  • 1953年7月8日 - 南充専区南部県の一部が塩亭県に編入。(9県)
  • 1953年8月8日 - 塩亭県の一部が南充専区西充県に編入。(9県)
  • 1953年11月9日 - 江津専区合川県の一部が潼南県に編入。(9県)
  • 1954年2月 - 中江県の一部が三台県に編入。(9県)
  • 1954年6月10日 - 塩亭県の一部が綿陽専区梓潼県に編入。(9県)
  • 1954年9月17日 - 南充専区南充県の一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1954年10月8日 - 江津専区銅梁県の一部が潼南県に編入。(9県)
  • 1954年10月12日 - 塩亭県の一部が綿陽専区梓潼県に編入。(9県)
  • 1954年10月19日 - 江津専区合川県の一部が潼南県に編入。(9県)
  • 1954年11月5日 - 塩亭県の一部が綿陽専区剣閣県に編入。(9県)
  • 1954年11月 (9県)
    • 塩亭県の一部が南充専区南部県に編入。
    • 蓬渓県の一部が遂寧県に編入。
    • 遂寧県の一部が蓬渓県・潼南県に分割編入。
    • 江津専区合川県の一部が潼南県に編入。
  • 1955年12月6日 - 射洪県の一部が塩亭県に編入。(9県)
  • 1955年12月19日 - 綿陽専区剣閣県の一部が塩亭県に編入。(9県)
  • 1955年12月24日 - 中江県の一部が蓬渓県に編入。(9県)
  • 1955年12月 (9県)
    • 遂寧県の一部が蓬渓県に編入。
    • 蓬渓県の一部が南充専区南充県に編入。
  • 1956年5月6日 - 三台県の一部が射洪県に編入。(9県)
  • 1956年5月16日 - 蓬渓県の一部が遂寧県に編入。(9県)
  • 1956年10月26日 - 三台県の一部が綿陽専区綿陽県に編入。(9県)
  • 1956年12月27日 (9県)
    • 綿陽専区梓潼県の一部が塩亭県に編入。
    • 三台県の一部が射洪県に編入。
  • 1957年12月30日 (9県)
    • 蓬渓県の一部が遂寧県に編入。
    • 綿陽専区綿陽県の一部(新民郷の一部)が三台県に編入。
    • 三台県の一部(柳池郷の一部)が綿陽専区綿陽県に編入。
  • 1958年10月18日
    • 遂寧県・蓬渓県・潼南県・中江県・三台県・射洪県・塩亭県が綿陽専区に編入。
    • 安岳県・楽至県が内江専区に編入。

遂寧市

  • 1985年2月8日 - 綿陽地区遂寧県が地級市の遂寧市に昇格。市中区を設置。(1区2県)
  • 1997年10月31日 - 蓬渓県の一部が分立し、大英県が発足。(1区3県)
  • 2003年12月18日 - 市中区が分割され、船山区安居区が発足。(2区3県)
  • 2019年7月12日 - 射洪県が市制施行し、射洪市となる。(2区1市2県)

教育

大学

経済

石油天然ガスなどを産出する。

交通

空港

鉄道

道路

  • 高速道路
高速道路
国道
省道
  • 106省道
  • 205省道
  • 206省道
  • 304省道

名所・旧跡・観光スポット

  • 中国死海度假区中国語版(大英県)
  • 宋朝青瓷(宋瓷)博物館
  • 広徳寺中国語版、霊泉寺
  • 陳子昂故居/金華山(射洪市)、高峰山古建築群中国語版

健康・医療・衛生

  • 遂寧市中心医院(重慶医科大学附属遂寧市中心医院、川北医学院付属遂寧医院)[4]
  • 遂寧市第三人民医院、遂寧市紅十字医院、安居区人民医院(遂寧市第五人民医院)、安居区第三人民医院、射洪市人民医院、射洪市第二人民医院
  • 蓬渓県人民医院、蓬渓県婦幼保健站、大英県人民医院、大英県第二人民医院、大英県交通医院、大英県衛生防疫站

出身者

関連項目

出典

外部リンク





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