きんだい‐しゅぎ【近代主義】
きんだいしゅぎ 【近代主義】
近代主義(1922-現代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/24 00:54 UTC 版)
「ブラジル文学」の記事における「近代主義(1922-現代)」の解説
1922年2月11日から17日までの一週間の間、コーヒー・ブームによって首都リオを凌ぐ勢いで繁栄していたサンパウロで「近代芸術週間」が開催された。アニータ・マルファッチやディ・カヴァルカンチなどブラジル近代主義の先駆けとなった画家をはじめ、マリオ・デ・アンドラーデ(ポルトガル語版、英語版)、オスヴァルド・デ・アンドラーデ(ポルトガル語版、英語版)、メノッチ・ピッキア、グラサ・アラーニャなどの作家や彫刻家のヴィクトール・ブレシェレ、音楽家のエイトル・ヴィラ・ロボスなど前衛的な芸術家が一堂に会したこの催しでは、それまでの芸術思潮への猛批判がなされ、以後のブラジルの知的活動のあり方に多大な変革をもたらした。当初ブラジルの近代主義は美学的な観点のみを問題にしていたが、1924年にオスヴァルド・デ・アンドラーデがパリで発したコミュニケにより、ブラジルの近代主義はブラジルのナショナリズムをも視野に入れた文化運動となった。 近代芸術週間を演出したオスヴァルド・デ・アンドラーデ(ポルトガル語版、英語版)はパウ・ブラジル運動(ポルトガル語版、英語版)(1924)や食人運動(ポルトガル語版、英語版)(1928)など、近代主義を牽引しながら原始主義を創始した。『ジョアン・ミラマールの感傷的回想録』(1924)など、オスヴァルド・デ・アンドラーデの小説はそれまでの形式との完全な断絶が目指されている。同じく近代芸術週間を演出したマリオ・デ・アンドラーデ(ポルトガル語版、英語版)はサン・パウロをテーマにした詩を多数残し、小説においては『マクナイーマ(ポルトガル語版、英語版)』(1928)で原始主義に近づいた。カシアーノ・リカルドはトロピカリズモ溢れる詩を残している。1920年代の詩においては簡略さを追求した文体を確立したマヌエル・バンデイラ(ポルトガル語版、英語版)、ブラジル初の成功した女性詩人となったセシリア・メイレレス、マリオ・キンターナ、宗教性に回帰したジョルジェ・デ・リマとムリーロ・メンデス、愛をテーマにしたヴィニシウス・デ・モライス、ノーベル文学賞候補にもノミネートされたカルロス・ドゥルモン・デ・アンドラーデ(ポルトガル語版、英語版)の名を挙げることができる。 1930年代の小説はインテグラリズモ(ブラジル・ファシズム)や共産主義などの政治イデオロギーや、本格的に立ち現れた地方主義によって特徴付けられた。1930年代の小説は、直接的にはジョゼ・アメリコ・デ・アルメイダの『砂糖黍の絞り滓置場』(1928)に起源を持ち、地方主義を擁護し、砂糖黍をテーマに据えたジョゼ・リンス・ド・レーゴ、ラケル・デ・ケイロス、『サン・ベルナルド』(1934)、『干涸びた生活』(1938)で北東部を描いたグラシリアーノ・ラーモス(ポルトガル語版、英語版)、シーロ・ドス・アンジョス、『ネズミたち』(1934)で金策を真正面からテーマにしたディオネーリオ・マシャード、超大作『時と風』(1949)を残したリオグランデ・ド・スル州出身のエリコ・ヴェリッシモ、そして、左派の作家として前期は『カカオ』(1933)、『果てしなき大地』(1942)などでプロレタリア文学を試み、後期は『丁子と肉桂のガブリエラ』(1958)、『フロール夫人と二人の夫』(1966)で政治から離れ、アフリカ系の伝統文化にも近づいたジョルジェ・アマードなどが活躍した。
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