装飾写本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/21 05:45 UTC 版)
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装飾写本(そうしょくしゃほん、フランス語: enluminures、英語: illuminated manuscript)は、多くの場合、宗教的なテクスト写本に装飾頭文字(イニシャル)や装飾的な縁取り、装飾頁(カーペット頁)などの華麗な飾りをつけたものである。
解説
代表的なスクリプトとしては、中世のケルト教会修道僧によって作成されたケルト装飾写本がある。
中世のキリスト教世界では聖書にギリシャ・ローマ起源の具象的、写実的な挿絵を加えた挿絵写本(イラストレイテッド・マニュスクリプト)も数多く作成されたが、装飾写本(イルミネイテッド・マニュスクリプト)は文様を中心とする写本をいう。中世の修道院などで専門の写本修道僧が聖書写本に装飾を加えたものである。
デリンジャーは『装飾写本 その歴史と制作』(1970年)で
「写本芸術における装飾の主目的は、挿絵のそれと明らかに異なるものである。装飾はテクストの内容を説明することより、神に捧げるオブジェとしての写本を視覚的に統一しようとする。」
と述べている。
代表的な中世の装飾写本としては、アイルランドに始まるケルト教会系の修道院で作成されたケルト装飾写本があり、ヘブリディーズ諸島のアイオナ修道院で作成された『ケルズの書』、ノーサンブリアのリンデスファーン修道院で作成された『リンデスファーン福音書』、アイルランドのダロウ修道院で作成された『ダロウの書』などが現存する。
これらケルト系装飾写本は渦巻・組紐・動物など奇怪なケルト的文様を駆使したもので、その他ブリテン諸島に残る装飾写本とともに「ヒベルノ・サクソン装飾写本」と呼ばれることもある。
10世紀から12世紀に作られた装飾写本には、ケルト風を基本としながらアカンサスの葉のモチーフなどロマネスク様式を取り入れた装飾文字が多く見られる[1]。また、文字の中に物語の一場面を取り込んだ装飾文字も現れるようになった。
ゴシック期と呼ばれる13世紀以降には、パリを中心に世俗の写本家が装飾写本を制作するようになった。それ以前に比べ写本は小型化し、描かれる動物、植物の表現はより写実的になっている。
ルネサンス期にはフィレンツェやヴェネツィアなどイタリア方面で、コルヌコピアや葡萄唐草など古代ローマ風の文様を取り入れた装飾写本が発達した。
無形文化遺産

2023年、イスラム圏のアゼルバイジャン、イラン、タジキスタン、トルコ、ウズベキスタンの5か国の装飾写本の芸術がユネスコの無形文化遺産に登録された[2]。
脚注
- ^ 視覚デザイン研究所 編『ヨーロッパの文様事典』視覚デザイン研究所、2000年、224-226頁。ISBN 4-88108-151-9。
- ^ “UNESCO - Art of illumination: Təzhib/Tazhib/Zarhalkori/Tezhip/Naqqoshlik” (英語). ich.unesco.org. 2023年12月8日閲覧。
参考文献
- 鶴岡真弓『ケルト 装飾的思考』筑摩書房、1989年。 ISBN 978-4-480-87134-3。
関連項目
- カーペットページ
- トレジャーバインディング
- 紫羊皮紙 ‐ 紫色に染められた羊皮紙。金泥・銀泥などで文字が書かれた。
- 007/カジノ・ロワイヤル_(1967年の映画) - オープニングのクレジットで装飾写本の技法が使われている。
外部リンク
- ケルズの書カーペット頁 - ウェイバックマシン(2016年4月16日アーカイブ分)
- リンデスファーン福音書 - ウェイバックマシン(2007年6月9日アーカイブ分)
- インキュナブラと彩色写本 - ウェイバックマシン(2015年4月29日アーカイブ分)
- 装飾写本の作り方
装飾写本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 23:45 UTC 版)
マルミオンの最高傑作とされているのはサンクトペテルブルクのロシア国立図書館に所蔵されている『フランス大年代記 (en:Grandes Chroniques de France)』で、大きめ(215mm x 258mm)のミニアチュール(挿絵)が25枚、より小さめのミニアチュールが60枚描かれた装飾写本である。美しい彩色で描かれた戦闘場面からグリザイユのようなモノクロームで描かれた落ち着いたものまでさまざまな挿絵が描かれている。ネーデルラントの事象に重点を置いて書かれており、フランス王位を要求するフィリップ3世を正当化する目的で作成されたと考えられる。また、医学に関するテキストもあり、内容を図示する見事な挿絵が宗教的な縁飾りが施されたフィリップ3世の肖像とともに描かれている。 J・ポール・ゲティ美術館所蔵の『トンダルのヴィジョン (en:Getty Les Visions du chevalier Tondal)』も重要な作品である。1475年に作成された装飾写本で、マルミオンは他にも伝統的な時祷書や装飾写本を制作しており、大英図書館所蔵で1480年ごろの『フースの時祷書 (Huth Hours)』は24枚のページ大の挿絵と74枚の小さめの挿絵に装飾された、現存するマルミオンの作品のうちでもっとも精巧な時祷書となっている。現在ナポリにある22枚のページ大挿絵を持つ『ラ・フローラ (la Flora)』は複数の半身肖像画を描いた最初の時祷書で、「非常によくマルミオンの特色が表現された写本装飾で、もっとも優れた作品だろう」ともいわれている。ほかにもニューヨークのモルガン・ライブラリーとカリフォルニアのハンティントン・ライブラリーがマルミオンの優れた時祷書を所蔵している。 ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が所蔵する「シモン・マルミオンの時祷書」は1475年から1481年に作成された時祷書で、11cm x 7.6cmのページで構成されており、時祷書の細密画の技法しての好例といえる。縁飾りは特にすばらしく、通常の時祷書は草花で装飾されているのに対し象牙やエナメル額が用いられている。この時祷書は特定の依頼者のために作成されたとは考えられていない。依頼を受けて作成された時祷書には通常縁飾りに依頼者の紋章があるが、この時祷書には紋章がなく、また暦に記載されている聖人の記念日も特定の所有者を意識した聖人ではなく、当時のブルッヘや北フランスで信仰されていた汎用的な聖人が記載されている。これは当時の時祷書が一般向けにも市販されていたことを示唆するが、この時祷書ほど高級なものは珍しい。一枚だけ縁飾りがないページ大の挿絵があり、そこにはあまり例のない天国と地獄の光景が描かれ、反対側のページには「最後の審判」が描かれている。下部2/3には炎に満ちた煉獄が描かれ、その上には湖に架けられた、草花に満ちた公園のような天国へ続く細長い橋を渡ろうとしている裸体の肖像が描かれている。『トンダルのヴィジョン』にもさまざまな天国と地獄の光景が描かれており、ペテルブルクにある『年代記 (Chroniques)』の挿絵「シャルル禿頭王の夢 (Dream of Charles the Bald)」も同様に天国と地獄が描かれている。これらはヒエロニムス・ボスが『快楽の園』などで地獄の光景を描く以前の作品である。
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