蘭学修行
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1848年(嘉永元年) 大阪へ出て斎藤五郎に漢学を学ぶ。 1849年(嘉永2年) 江戸へ出て伊東玄朴に蘭学を学ぶ。友人井出三洋が江戸に来るのに頼られる。井出も伊東玄朴の門下へ。 1850年(嘉永3年) 佐久間象山の門下に入り、砲術を学ぶ。 1851年(嘉永4年) 学力が認められ阿波藩主蜂須賀斉裕の知るところとなり中小姓格となり昇進。4月4日時点での住所はお玉が池。 1852年(嘉永5年) 老中松平忠優の命を受けて蘭国政府献上の兵書を翻訳。この頃、勝海舟と親交。 1853年(嘉永6年) 古賀謹一郎の塾長片山仁一郎らと古賀について長崎へ。
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