藤原斉信とは? わかりやすく解説

藤原斉信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/17 13:39 UTC 版)

藤原 斉信(ふじわら の ただのぶ、康保4年〈967年〉 - 長元8年〈1035年〉)は、平安時代中期の公卿歌人藤原北家太政大臣藤原為光の次男。官位正二位大納言四納言の一人。




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藤原斉信

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四納言」の記事における「藤原斉信」の解説

藤原斉信は太政大臣藤原為光の子道長従兄弟にあたる。前述のように寛和2年歌合では道長・公任とともに招かれたが、道長・公任より1つ年下であった斉信は最年少召人であった。同2年10月から1年間道長とともに左近衛少将務めている。蔵人頭時代関白藤原道隆重篤となり、息子である藤原伊周内覧宣旨を巡る騒動発生している。四納言のうち、もっとも道長親しかったのは斉信であった考えられ道長出家後の万寿元年1024年)に病気療養のために有馬温泉向かった際に斉信も同行している。更に道長の娘である彰子・威子の中宮大夫外孫である敦成親王後一条天皇)の春宮大夫任じられ寛仁4年1020年)に四納言唯一の大納言昇進し、その翌年藤原実資右大臣転じた後は唯一の正官大納言であったその後、斉信はあと一歩迫った大臣地位就任することを願って度々祈祷行い、彼と大臣地位争い先に就任した藤原実資は不快の念を『小右記』に記している。だが、若くして大臣となった藤原頼通・教通兄弟及び当時としては稀に見る長命保った実資の3大臣前に遂に斉信が大臣になることはなかった。

※この「藤原斉信」の解説は、「四納言」の解説の一部です。
「藤原斉信」を含む「四納言」の記事については、「四納言」の概要を参照ください。

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