草創期(9世紀 - 1227年)
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「スモレンスク公国」の記事における「草創期(9世紀 - 1227年)」の解説
文献上にスモレンスクの名が初出するのは863年のことである。『ニコン年代記』によれば、875年にアスコルドがクリヴィチ族への遠征を成功させたという記述がある。『原初年代記』によれば、882年にオレグがスモレンスクを手に入れ、家臣を置いている。また、初代スモレンスク公とされるのはリューリク朝のスタニスラフである。 1054年、キエフ大公ヤロスラフ1世の遺言によって、スモレンスク公にヴャチェスラフが就いた。しかし3年後に死去し、ヴャチェスラフの兄弟のイーゴリが、ヴォルィーニ公からスモレンスク公に移された。そのイーゴリも1060年に死去したため、スモレンスクの地からの朝貢は、他の3人のヤロスラフの子たちに分割された。 『原初年代記』によれば、1097年のリューベチ諸公会議において、スモレンスクはウラジーミル・モノマフの世襲領土となることが承認された。また、1113年にウラジーミル・モノマフがキエフ大公となり、自分の子のスヴャトスラフを、スモレンスクからペレヤスラヴリへ移したという記述がある。
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