航海術
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航海術(こうかいじゅつ)とは、船舶の自位置および方角を算出あるいは推定し、目的地に到達するための最も合理的な進行方向・速度を決定する為の技術の総称である。
- ^ 仲之薗郁夫著 「海のパイロット物語」 成山堂書店 2002年1月28日初版発行 ISBN 4-425-94651-0
- ^ 満田豊他著 『海のなんでも小事典』 講談社ブルーバックス 2008年3月20日第1版発行 ISBN 9784062575935
- ^ 拓海広志著 「船と海運のはなし」 成山堂書店 平成19年11月8日改訂増補版発行 ISBN 978-4-425-911226
- 1 航海術とは
- 2 航海術の概要
航海術
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遣明船は、季節風を利用して航海を行った。春又は秋の東北の季節風に乗って大陸へ渡り、5月以降、西南西の季節風に乗り、日本へ帰国した。 宋代には磁鉄鉱から永久磁石を作るようになり、羅針盤の発見も済んでおり、永正の航海書にも「磁石の針」との言及があることから、遣明船は原始的コンパスを利用した航海を行っていたと考えられる。航路は堺、兵庫から瀬戸内海を通り、下関、博多を経由し東シナ海を直線的に横断して寧波を目指した。 宝徳の遣明船の際に書かれた『笑雲入明記』によれば、往路は寧波に着いた時に日付の年号を明のものに改め、帰路は下関(当時の呼称では赤間関)に着いた時に日本のものに戻している。また、遣明船が帰国した時には下関に着いた時点で京都に向けて帰国を知らせる使者が発せられたことも知られている。 細川氏と大内氏の対立が深まると、細川氏は大内氏の山口の側を通る瀬戸内航路を避け、土佐の浦戸、下田、南九州の油津、坊津を経由して寧波に行く航路をとった。
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