絵の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 19:39 UTC 版)
その絵は独特。わかりやすく言えば、クレヨンと水彩絵具で描いたような少年漫画キャラクター風である。等身が低い割には、やたらと年不相応の筋肉や腹筋を意識した健康児的な肉体(亀岡自身の性格が反映されている)であり、手足の比率も太い、極端気味にデフォルメしてある。それは少年キャラクターだけではなく、女性、大人、老人キャラなども例外ではない。目や眉毛などの顔のパーツは、のりで貼り付けたような感じになっているので、ポーズをとった感じもリアルな感じよりはコミカルな感じに仕上がっている。 逆に言えば、過激な表現でも露骨さがない限りは感じにくくなっているうえに、2Dゲームにおいてドット絵との相性がとても良い。 『マジカルバケーション 5つの星がならぶとき』あたりからはやや一般アニメ的な美男美女の要素も取り入れ、頭身のバランスも安定。キャッチーな絵柄に変化した。 『聖剣伝説3』で仕事を共にした背景グラフィックスデザイナーの津田幸治と、『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』以降、共同でイメージイラストを描くことがある。キャラクターを亀岡が手がけ、背景画を津田が描くといった役割分担である。
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絵の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 16:10 UTC 版)
癖の強い個性的な絵柄で、力強い描線と格闘ゲームから影響を受けたキャラクターデザインが特徴。「シルエットだけでキャラクターが分かる」というコンセプトを信条としている。 『ピルグリム・イェーガー』では、歴史資料を下敷きにしたもののほか、原作の冲方丁とのすり合せによる創作と思われるデザインも多い。原画においては、全体的に黒い部分が多い印象を受けるが、広範囲のベタはそれほど多くなくスクリーントーンでまかなっている部分が大きい。
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絵の特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 23:15 UTC 版)
NHKに最初に持ち込まれた絵は、画用紙にサインペンで描いたものであった。その後に集められた多くの絵も、鉛筆画もあれば、クレヨン、フェルトペン、色鉛筆、墨、子供の使った絵具の残りなど、用具は様々である。また用紙も画用紙はもとより、カレンダーや広告の裏、襖紙、子供のいたずら描きの裏など、ありとあらゆる身の回りの紙が利用されている。絵の大きさも様々であり、匿名の絵もある。NHK番組の「市民の手で原爆の絵を残そう」で四國五郎が「紙は何でも良い」「ノートの切れ端でも、広告の裏でも良い」と呼びかけたことも、絵心のない者たちに製作を促す後押しとなっている。 絵の作者の多くは、学校を卒業してから絵を描いたことなど未経験の、まったくの素人である。それだけに、素人の稚拙な画力で描かれた原爆の絵は、絵画的表現がシンプルで、かえって胸に迫ってくるとする意見もある。1994年の平和資料館での展示では、ある女子大生から「こんなに下手な絵ばかり並びたてた展覧会が、かつてあったろうか? その下手な絵に、これまで見たどんな絵よりも激しく心を揺さぶられた」との感想も寄せられた。反核運動家の佐伯敏子は、祈り、哀しみ、怒り、虚しさがすべてこれらの絵の中にあるとして、「原爆の絵」ではなく「絵人間」と表現している。 また、原爆を視覚化した資料はたいへん少なく、そのほとんどはアメリカ軍によるフィルムで、科学、軍事としての視点から広島の惨状を捉えたものである。それに対して被爆者自身による絵は、被爆体験が人間的な惨事として描かれていることが、アメリカ軍のフィルムとは大きく異なる特徴であり、原爆被害の実態を証言するための貴重な資料だとする意見もある。NHKプロデューサーの桜井均は、映像として残されている原爆の記録は人員や機材が限定されるために死角が生じやすく、これらの原爆の絵はその死角を明らかにするものだとして、「写真やフィルムではとうてい表現しえない原爆の実相」と表現している。 政治学者の浅井基文、社会学者の直野章子らは、以下のように評している。 1枚1枚の絵の強烈さは、私の覚悟をはるかに上回って私の気持ちを締め付け、押さえつけた。あえぐような感じでようやくすべての絵を見終えた後、私はしばらく呆然となって、思考停止になっていた。ショック状態というのは、こういうことを言うのだろうと思う。(中略)「これが原爆だ」「被爆する、とはこういうことだ」という圧倒的な事実の重みに、私はうちひしがれていたのだ。1枚1枚の絵は、見るものをしてそんな気持ちに追い込まずにはおかない。それはまさに、原爆地獄に突き落とされた人々の網膜に焼き付いた紛れもない真実であったがゆえに、無機質な写真をはるかに超える迫真力で、見るものの五感を麻痺させるのだと思う。 — 浅井基文、広島平和記念資料館 2007, pp. 9-10より引用 「市民が描いた原爆の絵」には、人を揺さぶる力がある。国内外の各地で催される絵の展示会場では、息を呑み、食い入るように見入ったり、涙を浮かべたりする見学者たちが数多く見受けられる。技法的に洗練されているとはいい難いが、そこに描かれている情景に少なからぬ衝撃を受けるのだ。 — 直野章子、広島平和記念資料館 2007, p. 77より引用 日本国外においては、前述の英訳版画集『Unforgettable Fire』の出版時に、アメリカのジャーナリストであるジョン・ハーシーが「そこに記録されているものが、被爆者の脳裏に焼きついたものであるため、核の惨劇を伝えるあらゆる写真集よりも感動的」と推薦の言葉を述べた。1982年のアメリカでの展覧会では、ミシガン州バトルクリークの地元紙『バトルクリーク・ショッパーニューズ (Battle Creek shopper news)』紙上で「絵は未熟ではあるが、インパクトを高めるものであった」と報じられた。シカゴで集会が開催された際は、これらの絵をいつでも見られるよう、平和博物館に常時展示してほしいとの希望も寄せられた。そのほかのアメリカ各地の展示会では、「感動的で力強い絵」「このおそろしい原爆の絵を描いてくださった人達、神様に感謝いたします」などの感想が寄せられた。 一方で絵を描いた被爆者たちは、「こんなもんじゃない」「百年描いても描き尽くせない」と、実際の惨状を描ききれないもどかしさを吐露している。展示会に訪れた被爆者たちからも「あの臭いがない」と、体験と絵とのずれを指摘する声もある。
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