紀年とは? わかりやすく解説

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き‐ねん【紀年】

読み方:きねん

ある紀元から数えた年数


紀年法

(紀年 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/30 13:48 UTC 版)

紀年法(きねんほう)とは、を数えたり、記録したりする方法のこと。




「紀年法」の続きの解説一覧

紀年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:13 UTC 版)

神功皇后」の記事における「紀年」の解説

詳細は「日本書紀#紀年・暦年構成」、「神武天皇即位紀元」、および「干支#干支による紀年」を参照 紀年について『日本書紀』百済三書参照または編入している。百済王に関して薨御年と即位年も記されている。 神功皇后摂政55年255年百済肖古王薨御 神功皇后摂政56年256年百済貴須王即位 神功皇后摂政64年264年百済貴須王薨御 百済枕流王即位 神功皇后摂政65年265年百済枕流王薨御 百済辰斯王即位 ちなみに古事記では照古王が応神天応の時に貢物を奉げる逸話書かれている肖古王貴須王枕流王辰斯王同じくそれぞれ朝鮮半島正史である『三国史記』百済本紀近肖古王在位346年375年)、近仇首王在位:375年384年)、枕流王在位:384年 - 385年)、辰斯王在位385年 - 392年)と考えられている。紀年が120年ずれているが、各王の在位期間がほぼ一致する井上光貞『日本書紀』編者神功皇后卑弥呼比定したため干支を二運繰り上げたという説を支持している。ただし井上秀雄は、百済記年紀干支だけの簡単なものでありそれだけでは絶対年代確定せず『日本書紀』『三国史記』百済本紀も、それぞれの編者独自に考証して絶対年代付与したものであって既存伝承があった上でそれよりも上げたり下げたりしたわけではない、とみている。いずれにせよ年代がずれているだけなので、少なくとも神功皇后摂政紀においていわゆる二倍暦説は当てはまらない可能性が高い。 神功皇后55年百済肖古王(214年死亡)又は近肖古王375年死亡)が死亡したことが日本書紀には書かれている近肖古王死亡時期元にした年表だと神功皇后元年321年になる。一方魏志引用した明帝景初三年六月、倭女王が遣使の記述元にした神功皇后元年201年になる。肖古王近肖古王の名前は似ていて干支201年321年は同じものなので日本書紀編纂者誤って近肖古王その後系図当ててしまった可能性大いにある。 ちなみに日本書紀の紀年をそのまま当てはめた戦前の説では肖古王貴須王肖古王在位166年 - 214年)、責稽王在位:286年 - 298年)とされた。「貴須王」と「責稽王」には文字の差が大きいが、これもただの誤写だと片付けられていた。枕流王辰斯王についてはどう考察して時代120年下る人物であるが、これは後代になって百済毎年貢物奉じている旨を神功皇后記事挿入しただけであり、肖古王責稽王時期とは分け必要がある。この部分については実は近肖古王肖古王と勘違した事により書き込まれただけの可能性大いにある。そのせいか丁度120年だけ時代がずれてしまっている。干支では同じ年代表記になってしまう。 一方新羅については『三国史記』新羅本紀婆娑尼師今と、奈勿尼師今の子倭国人質として赴いた後に逃げ帰った未斯欣それぞれ『日本書紀』の波沙寐綿と微叱己知に該当する思われるが、婆娑尼師今奈勿尼師今では大きく時代異なる。『三国史記』では新羅未斯欣百済腆支『日本書紀』では「直支(とき)」)はほぼ同時期に倭国人質になっているが、『日本書紀』では微叱己知と直支の日本滞在重ならず、80年もの差がある。

※この「紀年」の解説は、「神功皇后」の解説の一部です。
「紀年」を含む「神功皇后」の記事については、「神功皇后」の概要を参照ください。

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