筒井定次(つつい ていじ) 1562~1615
筒井定次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/16 10:18 UTC 版)
筒井 定次(つつい さだつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将・大名。伊賀上野藩主。
注釈
出典
- ^ a b c d 渡辺江美子「織田信長の息女について」『国学院雑誌』89巻11号、1988年。/所収:柴裕之 編『織田氏一門』岩田書院〈論集 戦国大名と国衆20〉、2016年。『系図纂要』織田氏系図で信長の子の十四番目に筒井定次室が記されている。
- ^ 小竹文生「豊臣政権と筒井氏 - 「大和取次」伊藤掃部助を中心として」『地方史研究』49巻3号、1999年。
- ^ 谷口克広『信長・秀吉と家臣たち』〈学研新書〉2011年。末尾資料「徳川三代改易表」に筒井定次「20万石」記載。
- ^ 籔 1985, p. 204.
- ^ 籔 1985, p. 210.
- ^ 籔 1985, p. 208.
- ^ 籔 1985, p. 209.
- ^ 籔 1985, p. 211.
- ^ 籔 1985, pp. 213–214.
- ^ 藤田 2018, p. 60.
- ^ 籔 1985, p. 217.
- ^ a b 籔 1985, p. 218.
- ^ 小和田泰経「伊賀上野城」『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本の城・城合戦』西東社、2016年、113頁。
- ^ a b 歴史群像編集部 編『戦国時代人物事典』学習研究社、2009年。ISBN 978-4054042902。
- ^ 清水紘一「筒井定次」(五野井隆史監修『キリシタン大名―布教・政策・信仰の実相―』宮帯出版社、2017年)
- ^ 結城 1999, p. 364.
- ^ 大川村の文化財国立国会図書館WARP 2020年3月3日閲覧
- ^ 「資料見聞-織田信長朱印状 筒井順慶宛 個人蔵」『高知県立歴史民俗資料館だより・ 岡豊風日(おこうふうじつ)』第108号、2019年11月 1日発行国立国会図書館WARP 2020年3月3日閲覧
- 1 筒井定次とは
- 2 筒井定次の概要
- 3 江戸期の軍記等や不明説話
- 4 参考文献
筒井定次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/08 17:27 UTC 版)
上野城を奪還した定次は関ヶ原へ向かい、西軍と交戦し勝利した。後にその功で本領安堵・10万石(合計で20万石)加増を約束され、伊賀上野藩を立藩した。しかし、伊賀は石高が貧しい国であった為苛税を敷く必要があり、それに呼応して独立志向が高い土豪の反乱が頻繁に勃発した。関ヶ原の戦い以前には、大規模火災の復興問題を皮切りに家臣が二分され、遂に島左近が出奔した。更に定次は酒に溺れ、政治に真面目に取り組まなくなった。このように関ヶ原の戦い以前から不行状が絶えなかった為、慶長13年(1608年)6月に領地没収、磐城平城主鳥居忠政のもとに預けられた(筒井騒動)。後に大坂の陣で豊臣方に内通したという疑惑が掛けられ、切腹となった。
※この「筒井定次」の解説は、「上野城の戦い」の解説の一部です。
「筒井定次」を含む「上野城の戦い」の記事については、「上野城の戦い」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 筒井定次のページへのリンク