空対地での使用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/23 08:04 UTC 版)
実戦での使用に向けこの新兵器が配備される前に広範囲にわたる試験が研究機関であるファーンボロのInstrument, Armament and Defence Flight (I.A.D.F) で実施された。ハリケーンにロケット弾と発射レールが取り付けられ、1942年6月と7月に飛行試験が行われた。ロケット弾攻撃の戦術を開発するために9月28日から11月30日まで更なる試験が行われた。試験にはその他にハドソン、ソードフィッシュ、ボストン IIとシーハリケーンといった航空機が使用された。 同時に航空機・兵装実験機関(A&AEE)がRPを装備した全ての機種各々に適した戦術を開発した。照準は標準のGM.II型 光像式照準器を通して行い、後には改良によりGM.IIL型照準器では目盛りを調節することで反射ガラスを傾けて照準線を下げることができるようになった。 RPが最初に作戦運用されたのは西部砂漠でホーカー ハリケーン Mk. IIEとIVに搭載された「戦車破壊」兵器としてであった。25 lb徹甲弾はドイツ軍に就役し始めたティーガーI戦車には効果が薄いことが判明した。王立砲兵隊の砲兵がQF 25ポンド砲で榴弾を使用して成功した事例から、新しい60 lb半徹甲弾(semi-armour-piercing:SAP)が設計されることに決まった。これは戦車を撃破する能力を持っていた。 当初の使用実績に促されて、浮上しているUボートに対する兵器試験が実施された。ロケットを浅い角度で発射すると目標付近に着水したロケットが海中で上向きになり吃水線下で目標を貫くことが分かった。間もなく空軍沿岸航空軍団とイギリス海軍の艦隊航空隊の航空機が広範囲にこのロケット弾を使用するようになった。ロケット弾攻撃を併用して破壊された最初のUボートは、1943年5月23日に英第819海軍飛行隊のフェアリー ソードフィッシュによるU-752(艦長 シュローター:Schroeter中尉)であった。この攻撃で使用されたのは「ロケット徹甲弾」(Rocket Spears)として知られる中実の鋳鉄製弾頭を持つロケット弾であった。この攻撃で1発が潜水艦の耐圧船殻を破壊したことにより潜水不能に陥り、Uボートは乗組員により自沈させられた。1943年5月28日に英第608飛行隊のハドソンが地中海でUボートを撃沈し、これがロケット弾攻撃のみでの初戦果であった。 これ以降ヨーロッパでの第二次世界大戦終了まで空軍沿岸航空軍団と艦隊航空隊は、このロケット弾を船舶と浮上中のUボートに対する主要な兵器(広範囲に代替されることが確かな魚雷と共に)の一つとして使用した。 RP-3の典型的な搭載方法は、左右の主翼下の発射レールに各4発の発射体を懸架するものであった。パイロットが単発(後に除去)、2発ペア又は斉射を選べるようにセレクタースイッチが取り付けられた。終戦間際には英第2戦術空軍のホーカー タイフーンが追加の4発を搭載し、主翼下に8発のロケット弾を搭載した。 RP-3が使用された最も有名であろう戦闘は1944年8月半ばにあったファレーズ・ポケットでのものであった。戦闘の最中に連合国軍による翼包囲に絡め捕られるのを回避するために退却するドイツ軍勢が空からの強襲を受けた。軽、中型爆撃機と戦闘爆撃機によるドイツ軍車列への数波の攻撃で英第2戦術空軍のホーカー タイフーンは多数の戦車と「敵機械化輸送隊」("Mechanised Enemy Transport")をロケット弾の攻撃で撃破したと主張した。しかし戦闘後にこの戦闘の評価を行った陸軍と英第2戦術空軍のオペレーションズ・リサーチ部門はロケット弾の攻撃のみで撃破されたのは遥かに少数の車両(僅か17両)であったと結論付けた。明らかになったことは、白熱した戦闘の最中に命中精度を維持するのに必要とされる好条件に合致したときにうまく兵装を発射することはパイロットにとり非常に困難なことであるということであった。目標地点の煙、埃や破片により正確な戦果の確認は困難であり、ほぼ不可能であった。 しかしながらロケット弾攻撃は敵兵の士気を大いに挫き、無傷のままや些細な損傷を負っただけの車両の多くが遺棄され、捕虜への尋問ではロケット弾攻撃の可能性があるということだけで兵員の士気が下がっていたことが判明した。
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