福寿院
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 09:46 UTC 版)
葡萄村(現在の朝日村蒲萄)の空寺の桃源山福寿院の寺籍を移し建てられた寺。 もともと、小俣集落には宝泉寺があったが冷害飢饉が続き寺を維持できなくなり、1645年(正保2年)に廃寺。それ以降、葬式や法事などが不便になり、1677年(延宝5年)に庄屋の長左衛門が奉行所に再建を願い出た。しかし1635年(寛永12年)、幕府が寺社奉行を置き寺請制度を設けたため、寺社奉行の許可なく寺を開山できない状態であった。しかし、寺を移すことは可能であったため、葡萄村の東元福寿院の寺籍をもらうことで願いは叶えられた。一時は戊辰戦争により焼失したものの1881年(明治14年)に再建され、その際宝泉寺の山号をとった「無量山福寿院」に改名。 また、山北町文化財に指定されていた本尊の阿弥陀如来坐像が祀られている。これは室町時代後期に作られたもので、朴の一木造りである。
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