甲相駿三国同盟とは? わかりやすく解説

甲相駿三国同盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/23 06:49 UTC 版)

甲相駿三国同盟(こうそうすんさんごくどうめい)とは、天文23年(1554年)に結ばれた、日本の戦国時代における和平協定のひとつである。永禄10年(1567年)の今川家による塩止めにて破綻。甲相駿はそれぞれ甲斐相模駿河を指し、この時それぞれを治めていた武田信玄北条氏康今川義元の3者の合意によるもの。締結時に3者が会合したという伝説(後述)から善徳寺の会盟ぜんとくじのかいめいとも呼ばれている。同盟の名としては、それぞれの国をあらわす甲、相、駿の順番は定まってはおらず、文献・研究者・機関などによっては順番が異なる。




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甲相駿三国同盟

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武田信玄」の記事における「甲相駿三国同盟」の解説

詳細は「甲相駿三国同盟」を参照 詳細は「甲相同盟」を参照 武田晴信信濃進出に際して和睦成立した後も軍事的な緊張続いていた駿河今川氏相模北条氏の関係改善進めており、天文23年1554年)には嫡男武田義信正室今川義元の娘嶺松院信玄の姪)を迎え、甲駿同盟強化する。また娘を北条氏康嫡男北条氏政に嫁がせ甲相同盟を結ぶ。 これにより、今川氏北条氏信玄及び今川家太原雪斎仲介して婚姻を結び、甲相駿三国同盟が成立する。甲相駿三国同盟同盟のうち、北関東において景虎抗争していた北条氏との甲相同盟長尾景虎共通の敵として相互に出兵軍事同盟として特に有効に機能した

※この「甲相駿三国同盟」の解説は、「武田信玄」の解説の一部です。
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