田中辰次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 07:18 UTC 版)
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府堺市 |
生年月日 | 1944年10月27日(78歳) |
身長 体重 | 173 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1965年 ドラフト5位 |
初出場 | 1966年 |
最終出場 | 1967年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について |
田中 辰次(たなか たつじ、1944年10月27日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
来歴・人物
興國商では同期の溜池敏隆とクリーンナップを打つ。1962年に右翼手、五番打者として夏の甲子園大阪府予選決勝に進出するが、戸田善紀、中塚政幸のいたPL学園に敗退。卒業後は社会人野球の鷺宮製作所へ入社。1965年の都市対抗では立正佼成会の補強選手として出場。二番打者として適時打を放つなどチームの初勝利に貢献、優秀選手賞を獲得した。
1965年プロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズから5位指名で入団[1]。二塁手、三塁手、遊撃手、外野手をこなすユーティリティ・プレイヤーとして、1年目に17試合、2年目に28試合に出場する。しかし打撃成績が振るわず、1967年のシーズンオフにわずか2年で引退した[1]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1966 | 西鉄 | 17 | 10 | 9 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | .000 | .100 | .000 | .100 |
1967 | 28 | 38 | 33 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 2 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 8 | 2 | .091 | .143 | .121 | .264 | |
通算:2年 | 45 | 48 | 42 | 4 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 4 | 3 | 3 | 0 | 1 | 0 | 2 | 11 | 2 | .071 | .133 | .095 | .229 |
背番号
- 48 (1966年 - 1967年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 田中辰次 - NPB.jp 日本野球機構
- 田中辰次のページへのリンク