片山桃史とは? わかりやすく解説

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片山桃史

片山桃史の俳句

あきのかぜ水筒になり天に鳴り
いつしんに飯くふ飯をくふはさびし
なにもない枯野にいくつかの眼玉
スケートの真顔ま顔が玻璃に来る
ダニエル機消え白鶏の朝のこる
一斉に死者が雷雨を駆け上る
三日月がひかれば女うそをつく
兵隊の街に雪ふり手紙くる
冷雨なり二三は遺骨胸に吊る
凍天へ弾キユンキユンと喰ひ込めり
千人針はづして母よ湯が熱き
地の涯の秋風に伍はみだれたり
我を撃つ敵と劫暑を倶にせる
穴ぐらの驢馬と女に穴ぐらの
闇ふかく兵どどと着きどどとつく
雨がふる恋をうちあけやうと思ふ
雨はよし想ひ出の女みな横顔
 

片山桃史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 02:34 UTC 版)

片山 桃史(かたやま とうし、1912年8月23日 - 1944年1月21日)は、兵庫県出身の俳人。本名・隆雄。

人物

黒井村(現・丹波市春日町)生まれ。酒屋の次男。旧制柏原中学校(現・兵庫県立柏原高等学校)を卒業後、鴻池銀行三菱東京UFJ銀行の前身)に入行。俳句は旧制中学在学中よりはじめ、「鬼灯」誌で西山泊雲に師事、「ホトトギス」を経て、1935年に日野草城の「旗艦」創刊に同人参加。1937年8月応召、中国大陸にて従軍しながら戦地で詠んだ前線俳句を本国に送り「旗艦」に発表した。1940年帰国、句集『北方兵団』(三省堂 俳苑叢刊)を刊行。1941年に再度応召し、東部ニューギニアで戦死した。戦後、宇多喜代子が遺稿などを集め、1984年に『片山桃史集』を編集刊行している。代表句に「千人針はづして母よ湯が熱き」など。

参考文献

  • 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
  • 宇多喜代子 『ひとたばの手紙から 戦火を見つめた俳人たち』 角川ソフィア文庫、2006年
  • 『片山桃史集』 南方社 1984年

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