ふん‐しょ【×焚書】
ふんしょ【焚書】
焚書
焚書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:24 UTC 版)
ここで再び登場するのが中青協である。中青協はこの年の5月を「青少年育成保護月間」と定め、中青協、東京母の会連合会、日本子どもを守る会、東京防犯協会連合会などが活発に活動した。母の会連合会や東京防犯協会連合会は事実上は警察が運動を仕切っていた団体であることが知られており、特に東京母の会連合会は5月から活動を更に活発化させ、家庭から性を扱った雑誌を一掃すると称して「見ない、読まない、買わない」の「三ない運動」を展開した。 東京母の会連合会は運動を過激化させ、最終的には子供向けのマンガ雑誌の焚書にまで発展した。 「三ない運動」を始めたのは、赤坂少年母の会(東京母の会連合会の1支部)で5月のことである。エロ・グロ雑誌の追放を主張した運動で、「見ない・買わない・読まない」という意味から「三ない運動」と名付けられた。これが、以後続く焚書の直接のきっかけになった。ただし、その運動の当初の理由は若干複雑で、当時の住宅事情から、大人が買った「性雑誌」がどの家にも置いてあり、それを子供が持ち出して友達同士で回し読みするので困る、ということもあったようである。 同会の会長は黒川博子で、黒川武雄(元厚生大臣)の妻である。最初は、身の回りにある問題雑誌・問題書籍をなくそうと主張して、35冊を焚書した。当初、母の会が問題にしたのは、カストリ雑誌や大人向けの赤本やゾッキ本で、焚書した冊数もわずかなものだったが、数ヶ月で運動は大規模化し、運動による焚書の冊数も巨大なものになっていった。 この運動は裏で警察が操っていたことが知られている。実際に、焚書事件からかなり後の1963年(昭和38年)に神崎清(日本子供を守る会副会長)が書いた文章によると、「婦人会を中心とする運動」は「常に警察の権力と結合している」と述べており、さらに「お膳立ては全部警察の方でして、その筋書きに従っているだけで自主性がないわけです」と内情を語っている。 警察関連の動きに関してより具体的に言うと、「三ない運動」が始まる数ヶ月前から警察の側で奇妙な動きが見られた。養老絢雄(警視庁防犯部長・当時)が新聞に登場して、「不良出版物」を取り締まれ、という論を展開した。2月17日付朝日新聞では、「世論の支持さえあれば、いつでもビシビシ取り締まる用意がある」と発言、3月2日付朝日新聞の「論壇」欄では、出版の自由は「その性格が十九世紀的な、いわば国家に先行する純粋に個人的な自然の権利であるとは、到底考えられない」と書き、その自由は制限されて当然という見解を披瀝している。更に、「憲法に保障された自由を主張できる本来の出版物のラチ外にあるものとすら考えたい」とも書き、出版の自由・表現の自由が保障されない表現物があっても問題ないとの考えを述べている。 当時の朝日新聞の報道によると、2ヵ月後の7月には、同運動に参加した3千人の会員が続々と供出し、約五百冊が焚書された、という。その後も焚書は続き、母の会連合会は「悪書追放大会」を開いて、エプロン・かっぽう着姿で約6万冊の雑誌やマンガを焚書するまでになった。
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