永寧寺とは? わかりやすく解説

えいねい‐じ【永寧寺】

読み方:えいねいじ

中国河南省洛陽にあった寺。北魏(ほくぎ)の献文帝大同建立した大寺516年孝明帝生母霊太后都に移築外国からの多数仏像経典所蔵していたが、534年焼失


えいねいじ 【永寧寺】

中国洛陽にあった寺。北魏献文帝大同建立五一六年ここに移す。僧坊千余の大寺五三四年火災廃絶

永寧寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/17 15:39 UTC 版)

永寧寺(えいねいじ)は、中国北魏孝明帝516年熙平元年)に、当時の実権者であった霊太后胡氏(宣武帝の妃)が、当時の都の洛陽城内に建立したである。

概要

永寧寺には、高さ100m以上の九重の大塔があったと、「洛陽伽藍記」など当時の記録にある。南海を経てより北上して北魏に渡来した菩提達磨が、その壮麗なさまを見て、何日も「南無」と唱えていたという塔は、この大塔である。塔の背後には太極殿のような仏殿があり、これを取り巻く築地の正面には三重の門を開いていた。永寧寺の伽藍配置は日本の四天王寺の祖形にもなっている[1]

孝武帝534年永熙3年)2月に火災に遭い焼失してしまった。近年の発掘調査の成果として、この大塔の基壇部分が出土している。

献文帝が、467年皇興元年)に建立した平城(現在の山西省大同市平城区)永寧寺の後を受けたもの。476年承明元年)8月、孝文帝は、先帝の追善供養のために、この寺で100人余りの僧を得度し、また自らも剃髪し、僧服を施与したとある。

参考文献

脚注

  1. ^ 林良一『シルクロード』(時事通信社ISBN 4788788144ISBN 978-4788788145



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