歴代住持
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廃寺となるまでに住持は15代を数えた。以下に『内宮権任物忌内人家系』『内宮職掌家譜』に記載のある13代までの住持とその入寂した日について記す。 心鏡守悦(文明元年(1469年)7月18日卒) 宝山智珪(天文15年(1546年)7月5日卒) 行屋清順(永禄9年(1566年)4月2日卒) 千栄周養(慶長16年(1611年)4月25日卒) 明隠周清(慶安元年(1648年)9月2日卒) 玉容周宝(寛永17年(1640年)5月5日卒) 夫室周長(慶安5年(1652年)4月10日卒) 松嶽周貞(延宝4年(1676年)4月24日卒) 安山周榮(貞享3年(1686年)6月24日卒) 梅峯周香 法嚴周奥(宝暦9年(1759年)8月5日卒) 麗嚴周億(安永9年(1780年)12月13日卒) 周恭
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歴代住持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:04 UTC 版)
隠元は、中国僧が萬福寺住持を務めるべきと考えており大老酒井忠勝もこれに同意したことから、初代隠元から第13代まで中国渡来僧が代々住持を占めた。しかし、時が経つうちに渡来する中国僧が少なくなり、第14代・第16代・第17代・第19代と第22代から第60代(2007年(平成19年)7月時点)まで和僧が住持となっている。 詳細は「黄檗宗#黄檗法系略譜」を参照 初代 - 隠元隆琦 第2代 - 木庵性瑫 第3代 - 慧林性機 第4代 - 独湛性瑩 第5代 - 高泉性潡 第6代 - 千呆性侒 第7代 - 悦山道宗 第8代 - 悦峯道章
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