橘荘
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橘荘(たちばなのしょう)は、中世の下総国海上郡にあった荘園。現在の千葉県香取郡東庄町付近に相当。東荘(とうのしょう)とも呼ばれる。
- ^ 安房国を出て、上総国に赴かしめ給う。所從の精兵三百餘騎に及ぶ。而るに廣常、軍士等を聚めるの間、猶遅参すと。今日、千葉介常胤子息親類を相具し、源家に參らんと欲す。爰に東六郎大夫胤頼父に談りて云く、當國目代は平家の方人なり。吾等一族悉く境を出て源家に參らば、定めて凶害を插むべし。先ずこれを誅すべきかと。……以下略、(『吾妻鏡』治承4年9月13日条)
- ^ 下総国千田荘領家判官代親政は、刑部卿忠盛朝臣の聟なり。平相国禪閤に其の志を通ずるの間、目代誅せらるの由を聞き、軍兵を率い常胤を襲わんと欲す。之に依って、常胤孫子小太郎成胤相戰う。遂に親政を生虜らん。…(『吾妻鏡』治承4年9月14日条)
- ^ 『吾妻鏡』文治2年3月12日条「関東御知行国々内乃具未済庄々注文」
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