橘為仲
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橘 為仲(たちばな の ためなか、長和3年(1014年)頃 - 応徳2年10月21日(1085年11月11日))は、平安時代後期の公家・歌人。筑前守・橘義通の子。官位は正四位下・太皇太后宮亮。
経歴
蔵人・左衛門権佐・太皇太后宮亮を務める一方、淡路守・越後守・陸奥守などの地方官を歴任。いわゆる受領歌人の一人である。藤原頼通の時代の歌会で活躍した。和歌六人党の一人に数えられることもある[1]。
『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に10首の和歌が入集している。家集に『橘為仲朝臣集』(『為仲集』)が、日記として『橘為仲記』(散逸)があった。
系譜
- 父:橘義通
- 母:藤原挙直の娘
- 妻:不詳
- 男子:橘義仲
脚注
固有名詞の分類
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