権限分権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
1864年1月、大院君は軍事権と行政権を一体化して保持していた備辺司から行政権を議政府に軍事権を国外対策のみに減らした。さらに翌年3月、備辺司は議政府に統合され備局として設置された。1868年には備辺司の軍権を三軍府として復設させ、勢道政治による集権化した軍権を整備するため、訓錬都監など勢道政治の基盤になった軍権を剥奪し、国王の親衛隊龍虎営の権限を強化し、自らに通じるようにした。また武職には武科出身の専門の軍人、王族、大院君の側近を任命した。とくに三軍府を厚く重用し、格別の待遇を用意した。後に新式軍隊が設置されると、これらの者たちは大院君側についた。また他にも六曹には執吏を配置して自らの情報統制などを行い、議政府には八道都執吏を配属させた。
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