楽器奏者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/25 05:49 UTC 版)
「フレディ・マーキュリー」の記事における「楽器奏者」の解説
インドで暮らしていたフレディは9歳までピアノを習っていた。後のロンドン在住時には、ギターも学んだ。彼の好きだった音楽の多くはギターが中心だった。彼が当時気に入っていたアーティストは、ザ・フー、ビートルズ、ジミ・ヘンドリクス、デヴィッド・ボウイ、レッド・ツェッペリンなどであった。1980年代初頭は、クイーンとソロ活動の両方で、キーボード奏者を招いていた。ピンク・フロイド、エルトン・ジョン、スーパートランプで働いたカナダ人ミュージシャンフレッド・マンデル(英語版)はフレディの最初のソロプロジェクトに協力した。また、1985年から、スパイク・エドニーがクイーンに、ソロではスタジオでマイク・モラン(英語版)がと、前述のようにキーボード奏者が協力しているが、その際もフレディはピアノ等の鍵盤楽器も担当している。 フレディは「キラー・クイーン」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「懐かしのラヴァー・ボーイ」、「伝説のチャンピオン」、「愛にすべてを」、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」など、クイーンの代表曲のほとんどのピアノを弾いている。彼はコンサート・グランドピアノを使用し、時折ハープシコードのような鍵盤楽器も使っている。1980年代からはスタジオで頻繁にシンセサイザーを使うようになった。クイーンのギタリスト、ブライアン・メイは、フレディは彼のピアノの能力に感銘を受けさせるのではなく、舞台の上を歩き回って観客を楽しませたかったため、楽器を演奏していた時間が少なくなっていたと主張している。彼はギター用に多くの曲も書いたが、ギターは基本的な技術しか持っていなかった。「オウガ・バトル」、「愛という名の欲望」のような曲はギターで構成されており、後者はステージとスタジオの両方で、フレディが演奏するアコースティック・ギターが特徴となることもあった。 クイーンのライヴ・スタジオにおいてはシンセサイザー、タンバリン、リズムギター、ハープシコード、チェレスタ、アコースティック・ギター、オルガン、カウベル、パーカッション、シンセベース、マラカスなどにクレジットされている。
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