森脇将光
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森脇 将光(もりわき まさみつ、1900年1月17日 - 1991年6月2日)は、日本の実業家。
注
- ^ 東急グループの総帥である五島昇は、日本経済新聞『私の履歴書』の中で、“(1951年頃、経営危機にあった)東映が借金していた高利貸しの一人に森脇将光氏がいた。高利貸しだから「血も涙もない」と思い込んでいたら、こちらが必要資金を用意できると彼は「元金だけ返してください。利子は棒引きしましょう」と言ってきた。「高利貸しは人の小銭を集めて運用するのが商売だから、元金だけ返さなければならない。利子は仲介のブローカーが夜逃げした格好でなしにしますから、夜逃げ代に百万円出してください」という。一風変わった高利貸しだなあ、面白い高利貸しもいるんだなあ、と私は感心した。その後、私は森脇氏とはつきあうことはなかったが、森脇氏のお陰で少しは助かったようで、父(五島慶太)はしばらくつきあいを続けていたようだった。”と回顧している(1989年3月9日付日本経済新聞)
- ^ ちなみにこのスキャンダルが元で、千葉銀行は長らく日銀出身者が頭取を勤めることになる。
- ^ 判決後、森脇は「東京地検特捜部がでっちあげた森脇主犯説は崩れ去った。私はこの11年間、陽炎のごとき起訴事実で苦しめられた。私は現代の巌窟王だ」と叫んだ。
- ^ 作家の松本清張は、「吹原産業事件で、森脇氏が念書を偽造したことについて私はいまだに釈然としない」と語り、森脇のスケープゴート説を唱えていた(1991年6月3日付朝日新聞)。
- ^ ベッドの上で夕食中に食べ物を喉につまらせたため、家族が救急車を呼んで代々木病院に運んだ。しかし、そのときには意識はほとんどなく、病院についてまもなく息を引き取ったという。
出典
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