板まんだら事件
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最高裁判所判例 | |
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事件名 | 寄附金返還 |
事件番号 | 昭和51(オ)749 |
1981年(昭和56年)4月7日 | |
判例集 | 民集第35巻3号443頁 |
裁判要旨 | |
訴訟が具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとつており、信仰の対象の価値ないし宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題にとどまるものとされていても、それが訴訟の帰趨を左右する必要不可欠のものであり、紛争の核心となつている場合には、該訴訟は、裁判所法三条にいう法律上の争訟にあたらない。 | |
第三小法廷 | |
裁判長 | 横井大三 |
陪席裁判官 | 環昌一、寺田治郎 |
意見 | |
多数意見 | 全会一致 |
意見 | 寺田治郎 |
反対意見 | なし |
参照法条 | |
裁判所法3条 |
板まんだら事件(いたまんだらじけん)とは宗教の問題と審判権の限界について争われた日本の訴訟[1]。
概要
創価学会が本尊を安置する正本堂建立のために資金を募り、創価学会員17人が1965年10月に最高200万円、計541万8805円を寄付した[2]。この正本堂は1972年に完成したが、後に創価学会を脱退した17人は「本尊とされている板本尊(板まんだら)は日蓮聖人の手によるものではなく偽物」であり、錯誤による寄付は無効として寄付金の返還を求める訴訟を起こした[2]。
1975年10月5日に東京地方裁判所は「板まんだらの真偽などの争いの前提となっている事柄は、宗教の本質である信仰に直接かかわる」として訴えを却下[1][2]。1976年3月30日に東京高等裁判所は「宗教上の行為でも、それに伴って財産上の権利に紛争が起きた場合は裁判所の審判の対象になる」と一審の却下判決を取り消して、一審での審理やり直しを命じる判決を言い渡し[1][2]、創価学会は上告した[2]。
1981年4月7日に最高裁判所は「裁判所が審理できる対象は、法律の適用により、終局的に解決することができるものに限られる。本件訴訟は信仰対象の価値または宗教上の教義に関する判断なしには解決不可能で、訴えは不適法で却下すべき。」との判断を示して、「審理の対象となる」とした控訴審判決を破棄の上控訴を棄却し、一審の訴えを却下する判決が確定した[2]。寺田逸郎は「訴えを適法と認め、審理の中で請求棄却の判決をすべき」とする意見を述べた[2]。
脚注
参考文献
- 憲法判例研究会 編『憲法』(増補版)信山社〈判例プラクティス〉、2014年6月30日。ASIN 4797226366。ISBN 978-4-7972-2636-2。 NCID BB15962761。OCLC 1183152206。全国書誌番号:22607247。
板まんだら事件
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最三小判1981(昭56年)4月7日民集35巻3号443頁. Y会(創価学会)の元会員Xらが、Y会に対してした寄付は錯誤で無効であるから返還せよと請求した事件である。主張された錯誤の内容は、Y会が本尊だとする「板まんだら」は偽物であるというものだった。 最高裁判所は、法律上の争訟であるとした原審判決を破棄し、訴えを却下した一審判決を支持した。具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっているものの、不可欠の前提問題として「信仰の対象の価値または宗教上の教義に関する判断」が必要とされるために、「実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なもの」であるから、法律上の争訟ではないとしたのである。なお、法律上の争訟ではあるから却下すべきではなく、証明責任に基づいて錯誤が証明されていないことを理由に請求を棄却すべきだとの、寺田裁判官による反対意見が付された。 この判決は、本来法律上の争訟である不当利得返還請求を法律上の争訟ではないとした点で、種徳寺事件・本門寺事件と異なっている。そして「その実質において」といった論法が用いられていることもあり、民事訴訟法学者の中では疑問を持つ者も少なくない。
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