松永語録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 04:23 UTC 版)
練習は監督が、試合は選手が。「練習は選手が、試合は監督が」の指導者エゴが日本の野球を阻害した。プレーするのは監督ではなく選手だ。勝利の方程式は、選手の力が5、監督の力は3、残りの2は勝負につきものの運と考えるか、少なくとも監督の力が選手の力を上回ってはいけない。選手も自分の力を最大限発揮しようと努力している。その自己開発に手を差しのべてやるのが指導者の務めだ。 練習の目的は試合にある。そのためには基本から離れない練習を鉄則とする。思いつきの練習、計画性のない練習、積み重ねのない練習、即ち練習のための練習、それを百も承知でやる義理の練習では立派な選手は育たない。そのためには指導者は、野球を学問と位置づけ、学び、理論武装する。情熱や愛情、主観と経験則だけでは限界がある。 単に精神力強化を目的とした練習は、疲労が目的の練習に終わる。常に宿題、反省、問題点を見つけ出し、課題を明確にした上で明日の練習に取り組むことが重要である。 選手が倍の努力をするなら、コーチは4倍努力しろ、監督は8倍努力しろ! 指導者の基本姿勢は、功は選手・部下に、責は己にでなければならない。
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