東岳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 10:01 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動東岳は各地の山岳の通称。
東岳(とうがく)
東岳(ひがしだけ)
- 大雪山・東岳 (2070m) - 北海道
- 南アルプス・悪沢岳 (3141m) の別名 - 静岡県, 日本の山岳標高第6位。
- 東岳 (知床半島) - 北海道の知床半島にある標高1520mの山。
- 東岳 (宮崎県) - 宮崎県都城市と北諸県郡三股町の境にある標高898mの山。
- 東岳 (鹿児島県) - 鹿児島県いちき串木野市と薩摩川内市の境にある標高486mの山。
東岳(あずまだけ)
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東嶽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/05 02:12 UTC 版)
東嶽 | |
---|---|
1554年 - 没年不詳 | |
生地 | 阿波国 |
没地 | 阿波国 |
宗派 | 臨済宗 |
寺院 | 興源寺 |
師 | 南禅寺 |
東嶽(とうがく、1554年〈天文13年〉 - 没年不詳)は、江戸時代前期の臨済宗の僧侶。名は蜂須賀長存。東岳や栄俊とも表記する。
伊勢国司の北畠具教の落胤。母は大匠院(まつ)。養父は蜂須賀正勝。異父弟は徳島藩祖である蜂須賀家政。
生涯
しかし、母のまつは北畠具教と離縁し、後に尾張国の蜂須賀正勝の正室となり、1558年(永禄元年)に蜂須賀家政(後の徳島藩祖)を生んだ。
そのため長存は蜂須賀正勝の養子となり、後に出家し、京都の南禅寺で修行し臨済宗の僧侶となる。
異父弟・蜂須賀家政とともに阿波国に入り、1586年(天正14年)に江岸山福聚寺を開山。その後、同寺は下助任町に移り、興源寺と改められた。
その後、興源寺の初代住職となり、1619年(元和5年)に八万村(現在の徳島市八万町)に雲水庵(現在は廃庵)を開山し隠居。同庵には徳島藩家老である池田氏(蜂須賀家政の外孫蜂須賀玄寅系)の歴代当主の墓碑がある。没後、雲水庵に墓碑が建てられる。
参考文献
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