旧本多忠次邸
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2012年(平成24年)7月6日、オープン。沿革は下記のとおり。 子爵本多忠敬の次男、本多忠次は1896年(明治29年)7月、東京市本郷区(現・文京区)に生まれた。1932年(昭和7年)、東京府荏原郡駒沢町(現・東京都世田谷区野沢3丁目)にスパニッシュ様式を基調とした住宅を建てた。1999年(平成11年)8月、本多忠次が死去。これに伴い約7億円の相続税の支払い問題が発生した。2000年(平成12年)2月14日、世田谷区教育委員会の文化財担当者は、本多家とのゆかりの深い岡崎市に忠次の邸宅の移築復元を検討してもらえないかと打診。同年4月4日、中根鎭夫市長ならびに市職員ら13名は現地を視察。5月19日、所有者本多家から寄付の申出があり、協議が成立。邸宅は5月30日に解体され、建築部材は7月にかけて4トントラック12回に分けて岡崎市へ搬入された。移送された部材は市でしばらく保管され、2008年(平成20年)4月、邸宅と壁泉の一部を東公園に移築することが決定。2012年(平成24年)1月31日に復元工事が完了した。 2014年(平成26年)10月7日、国の登録有形文化財に登録された。
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