日韓併合時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 20:10 UTC 版)
ハングルの表記法を近代的な意味での正書法として明文化したものは、日韓併合時代の朝鮮総督府による「普通学校用諺文綴字法」(1912年)が最初である。これは朝鮮総督府編『朝鮮語辞典』(1920年)の編纂を経て1921年に「普通学校用諺文綴字法大要」として修正された。しかし、朝鮮総督府によるこれらの正書法は、新たな正書法というよりは、従来行われていた慣習的な表記法を整理し明文化したものである。その後、総督府は教育界などから指摘された問題点を改訂し、また調査委員に権悳奎,申明均,沈宜麟,鄭烈模,崔鉉培といった周時経門下の学者が多く加わり、周時経が提唱していた形態主義を一部取り入れる形で1930年に「諺文綴字法」が発表された。 周時経学派は1921年に朝鮮語研究会を創設し、その所属学者は朝鮮総督府の正書法整備事業にも深く関与していたが、1931年には朝鮮語学会を創設し、1933年に現行の正書法の基礎となる「朝鮮語綴字法統一案(한글 맞춤법 통일안)」を作成した。この正書法は形態音素論的な観点に立ち、形態主義的な表記法をより徹底させたものであった。同時にこの正書法では漢字音の表記、分かち書き、句読法についても明文化されている。「朝鮮語綴字法統一案」はその後、1940年、1946年、1948年に一部が改訂され、分断後の南北朝鮮に受け継がれていく。なお、朝鮮語学会は、1940年に「外来語表記法統一案」も作成している。
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