日本鋳鉄疑獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:31 UTC 版)
浄水工場築造中は不祥事が相次いだ。1894年(明治27年)5月29日、東京市会は日本鋳鉄会社による鉄管の納期遅延問題で、同社と締結した鉄管購買契約を契約不履行を理由に解除、処分した上で新たに同社と契約する事を議決した。しかし1895年(明治28年)10月30日には再度の鉄管納期遅延や検査不合格の鉄管を合格品と偽装して不正納入した事件が発覚した。東京市は直ちに同社社長を刑事告訴、11月5日に東京市会は同社外5名に対して旧刑事訴訟法第4条による附帯私訴を可決した。さらには契約保証金全額没収を議決、12月9日に鉄管納入不正事件により東京府知事・三浦安の不信任を議決した。この事件は政界を巻き込む不祥事に発展し、東京市参事会員の辞表提出や12月10日の内務大臣・野村靖による東京市会解散命令、翌1896年(明治29年)3月12日に東京市会は再度東京府知事に対して不信任を議決、再び野村による市会解散命令、3月14日には東京府知事・三浦安の辞職等、東京市政は第二次伊藤内閣を巻き込む形で大混乱に陥った。東京市会は当該鉄管事件を契機として特別市政撤廃を目指し、1898年(明治31年)10月1日に一般市制が施行され、東京府東京市麹町区有楽町の東京府庁内に東京市役所が開庁、10月6日に新たな東京市長・松田秀雄が就任した。
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