新しい局在論者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:57 UTC 版)
ジョン・ヒューリングス・ジャクソン(John Hughlings Jackson)などの科学者によるヨーロッパでの研究は、行動の主要な観点としての局在論を再び出現させた。ジャクソンは脳損傷、特にてんかんの患者の研究を行った。彼はてんかん患者がその発作の際にほぼいつも同様の間代性と緊張性の筋収縮を起こすことから、てんかんの発作は毎回、同じ場所で発生していると考えた。 ジャクソンは後の大脳葉の考え方に決定的となる、脳のマップを作成した。 1861年、フランスの神経科学者のポール・ブローカ(Paul Broca)は偶然、言葉を理解することは出来るが話すことが出来ない男性に出会った。その男性は"タン"としか話すことが出来なかった。後に彼は左前頭葉にあるブローカ野と呼ばれる領域に損傷を受けていることが分かった。ドイツの神経科学者であるカール・ウェルニッケ(Carl Wernicke)は似たような患者で、流暢に話すことは出来るが、会話が意味を成していない患者に出会った。この患者は脳梗塞を起こしていて、音声言語や文字言語を理解することが出来なかった。彼は、左頭頂葉と側頭葉の境界付近、今で言うウェルニッケ野に損傷を受けていた。これらのケースは局在論の強い証拠となるものであった。何故ならどちらの場合も脳の特定の領域の損傷が特定の機能の変化を起こしていたからである。 1870年、ドイツの内科医のエドワルド・ヒッツィヒ(Eduard Hitzig)とグスタフ・フリッシュ(Gustav T.Fritsch)は動物の行動に関する彼らの発見について論文を発表した。ヒッツィヒとフリッシュはイヌの大脳皮質を電気的に刺激することで、その刺激する場所に特有の行動をイヌに引き起こさせた。異なる領域の刺激が異なる行動を引き起こしたことから、彼らは行動はその細胞レベルで制御されているとした。ドイツの神経科学者のコルビニアン・ブロードマン (Korbinian Brodmann)は、フランツ・ニッスル(Franz Nissl)によって開発された脳の異なる種類の細胞を染色する組織染色法に注目した。彼はこの染色法を用いて、1909年にヒトの脳を52の異なる領域に分ける、現在ブロードマンの脳地図と呼ばれている区分を作った。彼の作成した区分は視覚野における17野と18野の区分など、多くの脳領域について非常に正確なものであった。
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