房中術と儒家
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『漢書』「芸文志」の「方技略」には房中八家の書、八種類が挙げられている。『容成陰道』、『務成(堯の師)子陰道』、『堯舜(堯・舜は儒家の聖人天子)陰道』、『湯・盤庚(湯は殷の初代天子、盤庚は同十九代天子)陰道』、『天老(黄帝の七輔の一人)雑子(雑多な諸子)陰道』、『天一(天乙に同じ、湯王のこと)陰道』、『黄帝(上古の聖人天子)三王(夏の禹王・殷の湯王・周の文王)養陽方』、『三家(三皇か、三皇は天皇・地皇・人皇ほか諸説あり)内房有子方』。これらの書名には人名を冠しており、そのほとんどが儒家の理想とする聖人である。 道徳的な印象の強い儒家において、房中術が結びつくのは儒家の「孝」の論理からである。『孟子』「離婁上篇」に「不幸に三あり。後(のち)無きを大となす」(親不孝には三つある。そのうち子孫がないというのが最も重大な不孝である)とある。儒家は子孫が絶えることは、祖先に対する祭祀が絶えることであり、父母への孝養が尽くせなくなることを意味する。そうならないためには、子をもうけることが大切であるとされ、房中術は儒家において本来は否定されるものではないとされた。古代から現在に至る中国の人間関係と社会組織の基盤をなす宗族制においても、健全な嫡子を生むことが宗族のなお一層の繁栄につながることも房中術の存在する根拠の一つであった。 宋代になると、儒家に理学(朱子学)という新しい哲学大系が生まれ、宇宙(天)の原理と人間の本性を究明しようとした。ところがこの理学の「存天理、滅人欲」(天の理にしたがい、人の欲をなくす)の思想は、房中術を誨淫の書とみなすようになり、それまで存在した房中書の大半は散佚していった。房中術は単に快楽だけを求める淫猥な性の技巧だと誤解を受けるようになり、一般に知られる房中術は実際にそのように変化していき、世間から影を潜めた。本来の房中術は道教のいくつかの流派に秘術として受け継がれるだけになった。理学のこの思想の社会的影響は現在にまで続き、中国ではみだらな文物に対する厳しい目が存在する。
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