戦後の変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:15 UTC 版)
「谷田部 (つくば市)」の記事における「戦後の変容」の解説
「谷田部町」も参照 第二次世界大戦後は新制中学校である谷田部町立谷田部中学校が1951年に開校、1964年に現在地へ移転した。 佐藤栄作政権が進めた筑波研究学園都市の建設によって、1970年以降は商工業が活性化し、道路整備や住宅・団地・工場の建設も進み、1975年に新しい谷田部町役場が完成した。同年の商店数は92軒を数えた。1973年には一部が稲敷郡茎崎村に編入され(現:池の台の一部)、1974年・1977年・1980年には一部が観音台へ、1974年・1977年に高野台へ、1978年に緑が丘へ分割された。 安定成長期の1984年には、郊外に常磐自動車道谷田部インターチェンジが開設され、谷田部陣屋跡を中心とする谷田部地区への道路アクセスも好転した。
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