御橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 10:37 UTC 版)
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御橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 02:26 UTC 版)
御橋(みはし)は、栃木県宇都宮市の釜川に架かる橋。中世の宇都宮氏が統治していた時代からあり、何度も歴史の舞台となってきたことから、釜川の橋を代表する橋の1つに数えられる。また橋の近くにあった洞穴の中の石が釜の形に似ていたことから釜川と命名されたとする説がある。 現行の御橋は、1979年(昭和54年)頃に商店街の青年有志の働きかけで造られたもので、赤い欄干に擬宝珠を冠した橋である。橋長は短く、徒歩でも数秒で渡り切れるため、自動車で通過すると気付かない人もいるほどである。 宇都宮氏の治世では、御橋を渡ることが許されたのは、宇都宮城主と二荒山神社の神主に限られていた。宇都宮氏が去り、本多正純が城主となると、1620年(元和6年)に本多は大手門を御橋の前から江野町口へ移し、釜川を城の外堀にすべく御橋を撤去した。 1890年(明治23年)、御橋は再び架橋され、擬宝珠付きの欄干を備えた広い木橋として再生した。また、すぐ下流側には「ほだらく橋」も架橋された。ほだらくとは二荒山神社の別名で、「みどり橋」とも呼ばれたが、区画整理により川の流れが変わり、消滅した。御橋も区画整理の影響で小さくなった。
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