当局の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/26 05:07 UTC 版)
民主化運動に先立ち、国王を頂点とする体制側も、動き始めた。2月6日には各政党指導者の一斉逮捕が始まった。2月13日統一左翼戦線議長、サハナ・プラダンも逮捕された。ネパール共産党マルクス・レーニン主義派(通称マレ)の幹部、ラダ・クリシュナ・マイナリはプラダンからの警告で逮捕を免れ、運動の中心的な役割を担うことになる。共産党系政党の中で最大の勢力を持つ「マレ」は大部分が地下に潜行しており、指導部は無傷だった。中枢機関の「中央最高司令部」は党首はじめ5人しかその場所を知らされていなかった。党員のほとんどは警察に顔を知られておらず、指揮系統は万全だった。総書記のマダン・クマール・バンダリはプラダンの通報で逮捕を免れたマイナリに18日デモに行くように命じたが、同時に絶対に捕まってはならないとも命じた。マイナリが他党との連絡役であったからだ。 一方、ネパール会議派党首・クリシュナ・プラサード・バッタライ、最高指導者ガネーシュ・マン・シンハ、総書記のギリジャー・プラサード・コイララは運動を前に自宅軟禁されてしまった。 そうしたなか、学生や国民の抵抗運動も散発的に始まった。2月14日、ジャナクプルで開かれたパンチャーヤト制支持の官製デモにもぐりこんだ学生が、壇上に駆け上りパンチャーヤト制反対と、複数政党制を訴え、警察に逮捕されている。 民主化当日の最大の戦力が学生であると考えた警察は、「民主化」前夜、トリブバン大学の学生を300人一斉検挙した。
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