張南とは? わかりやすく解説

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張南Zhang Nan

チョウナン
チヤウナン

(?~?)

袁煕大将武帝紀》。

建安十年二〇五)正月、張南・焦触袁煕袁尚に叛いて攻撃、彼らを遼西追放したのち曹操降服した曹操は彼らを列侯封ずる武帝紀・袁紹伝》。

参照袁煕 / 袁尚 / 焦触 / 曹操 / 遼西郡 / 列侯


張南Zhang Nan

チョウナン
チヤウナン

(?~222

字は文進《楊戯伝》。

先主劉備に従って荊州から蜀へと入った章武元年二二一)七月劉備大軍催して西進し巫峡建平から夷陵に至るまで数十もの陣営連ね馮習を大督、張南を前部とし、輔匡・趙融・廖化傅肜らをそれぞれ別働隊とした。しかし馮習敵軍軽んじたため、翌年六月猇亭において陸遜大敗喫し、張南は馮習とともに討死した《楊戯陸遜伝》。

参照】趙融 / 傅肜 / 馮習 / 輔匡 / 陸遜 / 劉備 / 廖化 / 夷陵県 / 猇亭 / 荊州 / 建平郡 / 蜀 / 巫峡 / 前部 / 大督


張南

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/22 04:35 UTC 版)

張南(ちょうなん)は、


蜀漢の人物

張 南(ちょう なん、? - 222年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の武将。文進。蜀書先主伝・楊戯伝(季漢輔臣賛)・陸遜伝などに散見される。

劉備の荊州時代から仕えた家臣。221年夷陵の戦いに副将として従軍した。しかし翌年、呉軍と戦って大敗し、指揮官の馮習と共に戦死した。

後漢末期の人物

張 南(ちょう なん、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。武帝紀・袁紹伝に散見される。

当初は袁煕に仕えた。 曹操が袁尚を追って、幽州の袁煕勢力圏まで攻めて来た際、袁煕を裏切って焦触とともに袁兄弟を遼西に追放した。曹操に降伏後、列侯に封じられた。

三国志演義での扱い
小説『三国志演義』では、その後日談が描かれている。
曹操に従って赤壁の戦いに参加。緒戦において、「水軍の心得がある」ということで焦触とともに出陣するが、呉の韓当周泰に敗北し討ち取られている。


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