島の侵食
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 04:50 UTC 版)
形成直後の新島は周囲1里(約4000メートル)以上あったと記録されているが、1785年(天明5年)の薩摩藩による調査では2264メートル、1810年(文化7年)の伊能忠敬による測量では2157メートル、1961年(昭和36年)の調査では1450メートルと縮小している。これは主として波による侵食を受けたためである。1945年(昭和20年)以降相次いだ台風の襲来や冬期の季節風によって侵食が進み建物が失われるなどの被害が深刻化した。このため1966年(昭和41年)から離島振興法の適用を受け海岸に護岸工事が施された。
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