小野小贄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 15:58 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動小野 小贄(おの の おにえ)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。系譜は明らかでない。官位は正五位下・摂津大夫。
経歴
聖武朝の天平勝宝4年(752年)従五位下・下野守に叙任される。
淳仁朝の天平宝字7年(763年)内蔵助・造宮少輔と一時的に京官を務めるが、天平宝字8年(764年)紀伊守に任ぜられ再び地方官に転じる。同年に発生した藤原仲麻呂の乱での動静は明らかでないが、翌天平神護元年(765年)従五位上・右衛士督に叙任されている。
同年10月の称徳天皇の紀伊国への行幸に際して、紀伊の諸官人は叙位を受けたが、国守として小贄は正五位下に叙せられた[1]。また、行幸の帰途に際しても和泉国日根郡の深日行宮まで同行するが、天候が悪化したために小贄は一行と別れて紀伊に戻り、この際に称徳天皇から紬30疋と綿200屯を賜与されている[2]。
神護景雲3年(769年)中務大輔に任じられるが、翌神護景雲4年(770年)大宰少貳、宝亀2年(771年)摂津大夫とみたび地方官を歴任した。
官歴
『続日本紀』による。
- 天平勝宝4年(752年) 5月5日:従五位下。11月3日:下野守
- 天平宝字7年(763年) 正月9日:内蔵助。4月14日:造宮少輔
- 天平宝字8年(764年) 正月21日:紀伊守
- 天平神護元年(765年) 1月7日:従五位上。2月8日:右衛士督。10月22日:正五位下
- 神護景雲3年(769年) 8月19日:中務大輔
- 神護景雲4年(770年) 6月16日:大宰少貳
- 宝亀2年(771年) 9月16日:摂津大夫
脚注
参考文献
固有名詞の分類
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