富森正因
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富森 正因(とみのもり まさより、寛文10年(1670年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は助右衛門(すけえもん)。
- ^ 慶長六年八月「富ノ森庄屋年寄宛命令書」(神龍院別当梵舜日記『舜旧記』)
- ^ 「祖父助右衛門儀、中野壱岐守様ニ相勤在候。三十年以前病死仕候」(富森正因提出『親類書』)
- ^ 赤穂義士会『忠臣蔵四十七義士全名鑑 子孫が綴る、赤穂義士「正史」銘々伝』(小池書院、2007年)
- ^ 『沾徳随筆』より「浅野家滅亡之濫觴」
- ^ 「備中松山城の受け取りに赴くも、小者に曳かせた馬上にて居眠りして進むを女共まで嘲笑す」(『翁草』)
- ^ 川崎市Webより『市民ミュージアム』(川崎ロータリークラブ 本田和氏)
- ^ 細川家文書「堀内重勝覚書」(安永7年写)
- ^ 三田村鳶魚「赤穂義士 忠臣蔵の真相」(安永7年写)
- ^ 「氏家平九郎」とするものもあり。
- ^ 寛政五年改『諸士留帳』(甲賀市蜷川家所蔵)
- ^ 『水口藩加藤家文書』(甲賀市教育委員会事務局)
- ^ 『赤穂義士銘々伝~富森助右衛門』(口演:桃川鶴女)
- ^ 福本日南『元禄快挙録』二百三十五
- ^ 山崎美成『赤穂義士一夕話』七之巻には「酒屋市兵衛の店前で酒樽を開ける富森助右衛門」の挿絵が描かれている。
- ^ 本郷和人『「お金」で読む日本史』122p (祥伝社、2022年)
- ^ 『称名寺の文化財』(平成十四年十二月)
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