安東連忠とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 安東連忠の意味・解説 

安東連忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 06:28 UTC 版)

 
安東連忠
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
改名 連忠→雪貢[1][2]
別名 通称:助八郎、孫兵衛尉
官位 紀伊守[3]
主君 戸次鑑連立花宗茂
氏族 藤姓安東氏
父母 父:安東家忠
兄弟 連実、連善[4]連忠、由布惟定室
政弘
テンプレートを表示

安東 連忠(あんどう つらただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将豊後国戸次氏の家臣。

略歴

藤姓安東氏は藤原氏秀郷流の流れを汲むとされる、鎌倉時代以降に豊後を中心に九州北部に広がった一族。

安東家忠の子として誕生。戸次鑑連立花宗茂に仕え家老を務める。兄・連実が戦死し、後に鑑連が立花山城に移って以降に父・家忠が隠居し、その家督を甥・連直が継承したが幼少の為に連忠が後見人となって名代や輔佐役を勤め、書状などの署名を行う。

道雪に従って筑前、豊前、豊後など各地を転戦、菊池義武討伐、本庄統綱討伐、秋月文種討伐、小金原(清水原)の戦い、太宰府の戦い、筑後国遠征の筒川合戦(久留米合戦)にも参戦して戦功を立て、生涯15通ほどの感状をもらったという。

連忠は1000石を賜って分家し、立花氏が筑後柳川に転封する際、約40町の領地を受領した。子孫は奥平松平家家臣となる。

また、『柳河藩享保八年藩士系図』の堀善右衛門系譜に掲載される天正14年(1586年)の連署知行打渡状の家老の連署の中に「安東紀伊入道雪貢」の名が見える。

脚注

  1. ^ 『安東家系図』には道雪公より連字を賜る、助八郎、紀伊守、雪の字を賜り雪貢と号す。
  2. ^ 『柳河藩享保八年藩士系図・上』では雪貢は父の家忠の号と誤記している、実に雪貢は連忠の号とする『安東家系図』、中野等『立花宗茂』P22、23、48。
  3. ^ なお、『柳河藩享保八年藩士系図』には記述がないが紀伊守と称したとする史料は『安東家系図』には記載がある。
  4. ^ 舎人允常陸介、雪空、なお『柳河藩享保八年藩士系図』には安東連善の名が見られないが連善を兄とする史料は『安東家系図』には記載がある。

出典

  • 柳川市史編集委員会 編 『柳河藩享保八年藩士系図・下』〈柳川歴史資料集成第二集〉1997年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

','','','','','','','','','','','','','','','','','',''];function getDictCodeItems(a){return dictCodeList[a]};

すべての辞書の索引

「安東連忠」の関連用語










安東連忠のお隣キーワード
検索ランキング
';function getSideRankTable(){return sideRankTable};

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



安東連忠のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの安東連忠 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS