学士俳優として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:40 UTC 版)
東京帝国大学在学中から、後に映画監督となる家城巳代治や堀川弘通、同じく後に映画評論家として活躍する登川直樹や清水晶と交流し、1940年(昭和15年)、大学を卒業と同時に東宝に入社した。同年、今井正監督『女の街』で俳優としてデビューする。戦前においては帝国大学出身者のみが「学士」と呼ばれており、東京帝国大学出身の中村彰は、正真正銘の学士俳優第一号として話題となった。 戦時中は学士俳優として良家の紳士役やインテリ青年をおもに演じたが、戦後、新東宝に移籍してからはさまざまなジャンルの映画に出演した。1961年(昭和36年)の新東宝倒産後は徐々に俳優としての仕事を減らしていき、間も無く引退。晩年は成蹊大学図書館に勤務しながら成蹊学園史を執筆していた。 1969年(昭和44年)12月9日、同史執筆中に心臓を病み、急逝した。満53歳没。
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