壱岐の被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 03:25 UTC 版)
壱岐守藤原理忠も殺害され、島民の男44人、僧侶16人、子供29人、女59人の、合計148人が虐殺された。さらに、女性は239人が連行された。壱岐に残った民は、諸司9人、郡司7人、百姓19人の計35人であった。この被害は壱岐全体でなく、壱岐国衙付近の被害とみられる。 記録されただけでも殺害された者365名、拉致された者1,289名、牛馬380匹、家屋45棟以上。女子供の被害が目立ち、壱岐島では残りとどまった住民が35名に過ぎなかったという。
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