増殖の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 07:52 UTC 版)
カタオカザクラの里帰りは、塩尻市の教育委員長をしていた古沢源七が発見者の久保田秀夫に連絡を取ったことがきっかけである。その際に、カタオカザクラの原木が日光植物園に1本だけ残されていることを知ったものの、結実は少なく、実生は高く伸びてカスミザクラに戻ってしまって花をつけないものが大半だった。加えて、原木も高齢のため増殖が難しいと考えられていたが、里帰りを望んだ両者の想いをうけ、日本花の会結城農場で5年をかけて接ぎ木を行い、増殖できた3本が里帰りし、塩尻市役所と長野県林業指導所、古沢の自宅に移植された。移植されたカタオカザクラを母樹として増殖がすすめられ、1991年6月に元の自生地である片丘地区に最初に増殖できたうちの1本が記念碑とともに植栽された。 翌年、片丘地区に「カタオカザクラ保存会」が結成され、挿し木での増殖を進めながら地域の各所に植栽し、現在では市内各所で見ることが出来る。 カタオカザクラの増殖は、保存会の指導などにより、地元の片丘小学校などでも苗木づくりや植樹活動により今でも広く親しまれている。
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