塩川政巳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 03:38 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動塩川 政巳(しおかわ まさみ、1893年(明治26年)3月[1] - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。佐久銀行頭取[1][2][3]。長野県会議員[4]。
人物
長野県・塩川幸太の長男[1][4][5]。塩川三四郎の甥[1]。1917年、慶應義塾大学部政治学科を卒業[6]。1936年、家督を相続する[1][2]。
佐久銀行常務を経て頭取に就任[3]。長野貯蓄銀行、千曲自動車各監査役、東京美術館取締役などをつとめる[1][2][3]。
宗教は禅宗[3][7]。趣味は運動、俳諧[2]。長野県在籍で、住所は長野県北佐久郡三岡村森山[1][2][7](現小諸市)、東京宅は赤坂区丹後町[2]。
家族・親族
- 塩川家
- 父・幸太(1864年 - 1936年、佐久銀行頭取、衆議院議員、長野県会議員)[3][4][5][7]
- 母・よふ(1865年 - ?、長野、小山代吉の長女)[1][2]
- 妻・猪壽恵(1900年 - ?、長野、吉川芳太郎の四女)[1][2][4]
- 親戚
脚注
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 上』シ10 - 11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 上』シ11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
- ^ a b c d e 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』長野12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第10版 上』シ9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月21日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第7版』し21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
- ^ 『慶応義塾総覧 大正7年』第二十二章 卒業生236頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
- ^ a b c 『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』長野7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月12日閲覧。
参考文献
- 慶応義塾編『慶応義塾総覧 大正7年』慶応義塾、1917 - 1922年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 北海道・奥羽・関東・中部・外地・満州・支那・海外篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
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